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オスマン帝国の衰退2ー1(近代の中東・インド)

2021年03月18日 | 歴史
🌸オスマン帝国の衰退2ー1(近代の中東・インド)
 
 ☆内から、外から、衰退したオスマン帝国

⛳内部から崩壊したオスマン帝国
 ☆オスマン帝国は、西アジアの超大国としてウィーンを包囲する
 *ヨーロッパの国々を苦しめる存在でした
 ☆オスマン帝国、17世紀末第二次ウィーン包囲に失敗する
 *次第に弱体化を始め衰退を続けていく
 ☆オスマン帝国の衰退の「外」からの要因
 *主権国家体制の確立や産業革命で、ヨーロッパの国々が強大化された
 *オスマン帝国は、南下政策のターゲットにしたロシアから狙わる
 ☆オスマン帝国の衰退の「内」の要因
 *オスマン帝国は、トルコ人が様々な民族を支配する多民族国家
 *帝国内の様々な民族が、独立を求め内部崩壊をした

「我々はトルコ人ではない!」と目覚めたアラブ人
 ☆オスマン帝国の「握力低下」に影響を与えたのがワッハーブ派の運動
 *ワッハーブが起こした運動に、有力部族サウード家が協力する
 *アラビア半島にワッハーブ王国が成立する
 (サウジアラビアは“サウード家のアラビア"の意味)
 ☆ワッハーブ派の主張
 *今のイスラームは堕落した
 *ムハンマドが創始した、純粋なイスラームに戻ろう
 *「よそ者」がイスラーム世界を支配いると批判
 (アラブ人にとりトルコ人やイラン人は「よそ者」
 ☆じわじわとオスマン帝国を弱体化させていく

18,19世紀のオスマン帝国は弱体化と改革の時代
 ☆第二次ウィーン包囲の失敗からハンガリーを失う
 ☆ロシアのエカチェリーナ2世に攻められクリミア半島を失う
 ☆ナポレオンによりエジプトが攻撃を受ける
 ☆ギリシアの独立戦争でギリシアを失う

⛳オスマン帝国「エ―ス」は、オスマン帝国からの独立を画策
 ☆オスマン帝国のエジプト総督、オスマン帝国からの自立を要求
 *エジプト=トルコ戦争を起こす
 *総督は、この戦いに勝利してエジプトの行政権を獲得
 ☆総督は、エジプトにムハンマド=アリー朝を起こす
 ☆エジプトは、フランスと共同してスエズ運河を完成させる
 *建設費が増人して多額の借金をする
 *結局イギリスにスエズ運河の株式を売却する
 *イギリスに「美味しいとこ取り」をされた
 ☆エジプトは、イギリスの軍事占領をうけるイギリスの保護国となった
 ☆オスマン帝国はやせ細っていく
 *ハンガリー、クリミア、ギリシア、エジプトを失う
 ☆ロシアが、本格的にに南下し始める
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、「世界史の教科書」


オスマン帝国の衰退2(近代の中東・インド)

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