今年もあとがなくなりました。しかし、今日の次は明日のタカ長、これといった迎春準備もしないでのんびりしています。
外に出れば、、、、たとえばこのように、、、オオマシコが路上を歩いていることがあるかも?
ノートリでこの程度の写真がとれるチャンスはゼロではないでしょうが、家にいてはドラマはありません。
というようなことが今日の話題ではなくて、、、、、
またまためぐってきた、、、、といっても頻度は低いのですが、、、、
団地新聞の編集を始めたタカ長のいまを書いてみようかと思ったわけです。
タカ長が団地新聞の作成を担当するようになったのは平成9年春からで、それ以来一度も人に譲ることもなく担当しています。
それから18年以上のときが流れているのですが、、、、、
この間大きく変わったことが二つあります。そのひとつは、、、、
その頃に比べて原稿の出が悪くなってきたことです。そのころは原稿集めに苦労した記憶はないのですが、、、、
いまはまともに原稿がそろうほうがめずらしいような状況です。
そのため原稿が思い通りでないことを念頭に新聞づくりの作戦を立てています。
もうひとつはパソコンが新聞づくりの中心になったことです。
最初のころは手書きの原稿とプリントした写真を印刷所に出すかたちで新聞づくりをしていましたが、、、、
手書きの原稿は徐々にパソコン原稿にかわり、いまでは手書きの原稿を出す人は一人か二人くらいです。
今回も一人の手書き原稿が出たのでタカ長がパソコンで打ちなおしました。
印刷所の営業さんに会うのは最初の1回だけ、そのとき簡単な打ち合わせを済ませ、
USBにいれた原稿を手渡すとあとはすべてパソコンを介しての仕事になります。
初校も二校もすべてメールでやり取りするだけ、新聞の納品は運送会社が配送してくれますから、
印刷所の人に会うことは通常一回だけです。それで新聞が出来上がりタカ長宅に届きます。
タカ長のパソコン能力など幼稚なもので、陸上競技にたとえたら周回遅れ、それも2周も3周も遅れている状態ですが、、、
それでも曲りなりにパソコンが扱えるので新聞づくりが出来ているのです。
今ではこのようなボランティアも同好会の世話もパソコンが出来ないと不可能なような気がします。
仕事でパソコンが使えないのでノイローゼになったというようなことを聞いたことがありますが、、、、
今ではそのようなことを聞いたことがありません。
リタイアしているので聞かないのではなく、パソコンを使うことが普通になってしまったから、、、、
とタカ長は思っているのですが、、、、本当のところはどうなのでしょうか?