昨日の足摺山登山の軌跡と昨年9月に下見したときの軌跡を合成したものです。
本来は上側の尾根筋登るのですが、、、、今回は沢すじの道に誘導されて、、、尾根筋に上がる道を見失ったようです。
トップが間違っているらしいことに気づきましたが、、、、、、
あまり褒められたことではありませんが、向かって左の方に行くとあの岸壁の下に出て進退窮まるので、、、、
そのことだけは注意しながら登ってゆきました。
そのようなことが出来るのも、一応下見を済ませていて、山頂がどちらにあり、そこに登るルートが右の尾根にあることなど、基本的なことが理解できていたからです。
このようなことは登りだから出来ることで、小さな山であっても下りではこのような行動は厳禁です。
足元に注意しながら登り、想定通り8号目あたりで正規のルートに合流しました。所要時間を見ると、、、、それほど時間はかかっていません。
正規のルートを登っても、、、、外したルートと同じように落ち葉が多くて、まるで雪山を登っているよう、、、
どちらを登っても所要時間に大きな差はないようです。
この時期はこの山を登る人が少ないのでしょう。多くの人が登り、登山道が登山道らしくなっていたらもう少し楽に登れるはずです。
でもまあぁ、、、そのようなことが出来るのは小さな山を登る楽しみかもわかりませんね。
そのようなことがありましたが、ほぼ想定通りの時間で石仏群の前に来ました。
ここの日影で昼食タイム。
この足摺山登山の楽しみはここから始まる岩稜歩き、石仏を見ながらの岩稜歩きだと言えます。
これは兵庫県の高御位山を歩いているところです。
この山の岩稜歩きは「全国区」とも言えるものですが、足摺山は地方区も地方区、小さなものです。
それでもそれなりの個性があるので、超マイナーな山にもかかわらず登る人がいるのでしょう。
そのような山歩きの写真を並べます。
このあたりが石仏群。
下山して開作でただ1軒の住民、河村さんに聞くと、、、
明治のころ疫病がはやり、その治癒を願って住民が担ぎ上げたものだということでした。
タカ長の勝手な想像ではもう少し昔のものだと思っていましたが、その想像は外れたようです。
山を登る人なら誰でも歩ける楽しめる岩稜歩きですが、、、、、
とは言っても自分の歳は考えないといけない、と思いました。年々バランス感覚が悪くなるのが高齢登山者宿命ですから、これは仕方ありません。
このような風景の中を歩いてきました。
岩稜歩きを終えて、、、急な道を下りると間もなく開作に着きます。
下山して、、、作業中の河村さんに遠くから挨拶すると、、、、
その河村さんが下りてこられしばらく立ち話をしました。
昔はあの山に社がありお祭りも行われ、店も出ていたとか、、、、
相撲大会もあったということです。平坦なところがほとんど無いあの山で相撲大会???
まわりにはたくさんの栗の木があり、聞くと、、、これは出荷用とのこと、、、
観光用ではないけど来れば採らせたあげるよ、、、、ということでした。
この河村さん、もともと雄弁な人だったのでしょうが、それにしても話し好きな人でした。
山の中で1軒だけの生活をしていると、たまに見かける人と話したくなるのでしょう。
明日は孫の運動会で広島に行く、、、ということだったのでその場所を聞いたのですが、、、、
その場所はタカ長宅とは全然違ったところでした。
「近くだったらうちにも来て欲しいのに、、、、」
地元の人とこのような会話を楽しむことが出来るのも足摺山登山の楽しみかもわかりません。