4月7日に登った沖の郷山のことです。
結論からいうと、この山はタカ長たちの、2軍歩きに適した山でした。その話題です。
アップダウンもなくて登りやすい山です。この面でも2軍歩き向きです。
この山のことは山と渓谷社の「分県登山ガイド」でも調べましたが、このガイドブックの記述は明らかに現地と違います。
その経緯は分からないのでコメントしませんが、山と渓谷社の情報が古いのかも分かりません。
ガイドブックの通り、廃屋の近くに車を置いて歩き始めます。駐車スペースは十分ありました。
最初はなだらかな道を行きます。ガイドブックのことが頭にあったので、自分の歩いているしっかりとした道でもイメージが合わなくて、若干の不安はありました。
しかし、道は迷いようのない一本道でした。
最初はタカ長のイメージとは違う方向に歩いているようでしたが、その道もだんだんと左に向かい、沢すじの道になりました。
しばらく行くとその道は尾根に向かい、タカ長のイメージと合ってきました。
山ですから多少の急登はありますが、ゆっくり歩けば問題ありません。
問題があるとすれば、その日が3連チャンの最終日で、少し足が疲れていることだけです。
道はずっといい道でした。
あまり好きではない石ころゴロゴロの道ではありません。そのような道を登って行くと、、、、、
尾根に登り着きました。
右に行くと沖の郷山の山頂、左に行くと沖の郷神社です。
先行していたタカカノは迷わず山頂方向へ向かいました。
ここからも登りだけでした。
しかし、気分的にはここから山頂までの距離は遠く感じました。
山頂の手前で少しだけ高度を下げ、ほんの少し行くと目の前に山頂がありました。
広くない山頂ですが、草原状で、展望の良い山頂です。
目の前に見えているのが三瓶山です。
東の原のスキー場が刈られていて、とても見苦しく思いました。
右下に見えているのが隠岐原の集落です。この沖の郷山は沖の望山と言うそうです。
この山は承久の乱で隠岐に隠岐に流された後鳥羽上皇ゆかりの山なのです。
上皇の従者が山頂に登り、隠岐の島の様子を上皇に伝えたそうです。
そのころは沖の郷山から隠岐の島が望まれたのかも分かりませんが、その日は空気がもやっていて、島根県の海岸線も定かではありませんでした。
分県登山ガイドを見て、アップダウンのある山だと思っていましたが、実際には登りだけの山でした。
そのため想定以上に早く山頂に着きました。ここでしばらくのんびりとして、下山開始です。
先ほどの分岐まで戻り、タカ長だけ沖の郷神社に行きました。神社と言っても小さな祠です。
中を覗いてみると、このような石仏が祀られていました。
下のほうには何やら字が見えましたが、タカ長には理解できませんでした。
そばには東屋があり、そこからも三瓶山が見えました。しかし、隠岐の島は見えません。
分岐まで戻り、タカカノと一緒に下山。
杉や檜の植林のないコースなので、当然のことですが落ち葉は積もっていました。
しかし、このような道を歩くのは「裏山」で慣れていますから、特に問題はありません。
コースの終わりにはミヤマカタバミの白い花が目立ちました。
登山口に近いところは、夏鳥の季節に来てみたいような環境でした。
ご覧のようにアップダウンは400メートル程度です。
分県登山ガイドでは785メートルになっていますから、タカ長が歩いたコースとは明らかに違います。
このガイドブックに記録されたコースが今も残っているのかどうか知りませんが、タカ長が歩いた限りではそのような分岐点はありませんでした。
小さな山で、いつものように7時に団地を出発しても、昼前には余裕で山頂に着けそうです。
自然林の山で、歴史的な背景もあります。
この山はタカ長好みの山でした。歩数も1万歩にならない2軍歩き向きの山です。
結論からいうと、この山はタカ長たちの、2軍歩きに適した山でした。その話題です。
アップダウンもなくて登りやすい山です。この面でも2軍歩き向きです。
この山のことは山と渓谷社の「分県登山ガイド」でも調べましたが、このガイドブックの記述は明らかに現地と違います。
その経緯は分からないのでコメントしませんが、山と渓谷社の情報が古いのかも分かりません。
ガイドブックの通り、廃屋の近くに車を置いて歩き始めます。駐車スペースは十分ありました。
最初はなだらかな道を行きます。ガイドブックのことが頭にあったので、自分の歩いているしっかりとした道でもイメージが合わなくて、若干の不安はありました。
しかし、道は迷いようのない一本道でした。
最初はタカ長のイメージとは違う方向に歩いているようでしたが、その道もだんだんと左に向かい、沢すじの道になりました。
しばらく行くとその道は尾根に向かい、タカ長のイメージと合ってきました。
山ですから多少の急登はありますが、ゆっくり歩けば問題ありません。
問題があるとすれば、その日が3連チャンの最終日で、少し足が疲れていることだけです。
道はずっといい道でした。
あまり好きではない石ころゴロゴロの道ではありません。そのような道を登って行くと、、、、、
尾根に登り着きました。
右に行くと沖の郷山の山頂、左に行くと沖の郷神社です。
先行していたタカカノは迷わず山頂方向へ向かいました。
ここからも登りだけでした。
しかし、気分的にはここから山頂までの距離は遠く感じました。
山頂の手前で少しだけ高度を下げ、ほんの少し行くと目の前に山頂がありました。
広くない山頂ですが、草原状で、展望の良い山頂です。
目の前に見えているのが三瓶山です。
東の原のスキー場が刈られていて、とても見苦しく思いました。
右下に見えているのが隠岐原の集落です。この沖の郷山は沖の望山と言うそうです。
この山は承久の乱で隠岐に隠岐に流された後鳥羽上皇ゆかりの山なのです。
上皇の従者が山頂に登り、隠岐の島の様子を上皇に伝えたそうです。
そのころは沖の郷山から隠岐の島が望まれたのかも分かりませんが、その日は空気がもやっていて、島根県の海岸線も定かではありませんでした。
分県登山ガイドを見て、アップダウンのある山だと思っていましたが、実際には登りだけの山でした。
そのため想定以上に早く山頂に着きました。ここでしばらくのんびりとして、下山開始です。
先ほどの分岐まで戻り、タカ長だけ沖の郷神社に行きました。神社と言っても小さな祠です。
中を覗いてみると、このような石仏が祀られていました。
下のほうには何やら字が見えましたが、タカ長には理解できませんでした。
そばには東屋があり、そこからも三瓶山が見えました。しかし、隠岐の島は見えません。
分岐まで戻り、タカカノと一緒に下山。
杉や檜の植林のないコースなので、当然のことですが落ち葉は積もっていました。
しかし、このような道を歩くのは「裏山」で慣れていますから、特に問題はありません。
コースの終わりにはミヤマカタバミの白い花が目立ちました。
登山口に近いところは、夏鳥の季節に来てみたいような環境でした。
ご覧のようにアップダウンは400メートル程度です。
分県登山ガイドでは785メートルになっていますから、タカ長が歩いたコースとは明らかに違います。
このガイドブックに記録されたコースが今も残っているのかどうか知りませんが、タカ長が歩いた限りではそのような分岐点はありませんでした。
小さな山で、いつものように7時に団地を出発しても、昼前には余裕で山頂に着けそうです。
自然林の山で、歴史的な背景もあります。
この山はタカ長好みの山でした。歩数も1万歩にならない2軍歩き向きの山です。