タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

何たるドジだぁ!~2

2020年09月09日 | 山歩きから
恐羅漢大学があるなら学長は加藤武三で決まりです。タカ長のこの独断に異を唱える人はいないはずです。
タカ長の前では鬼籍に入ったことなど理由になりません。学長の残された著作に啓発されている人は多いので、今もって学長であっても何の不思議もありません。

このように書きましたがタカ長は加藤学長から直接教えを受けたことはありません。恐羅漢大学の学生と書きましたが、タカ長など「恐羅漢大学附属小学校」卒業程度の学力ですから、加藤学長の薫陶を受ける機会がなかったのは当たり前のことです。

    
        
私は郷土の山々の愛を、その底知れぬ慈悲を、やがて自照の中に映し出さねばならなかった。小さな山歩き、例えばそれは貧しくとも母は、私の最も尊敬する存在である様に、その素朴な、忘れられた山々の魂は、不思議な引力をもって尊大な私の心を打壊いてしまった。
(中略)
それら「小さな山歩き」に於いて、誰でもが持つ様に私の最も好きな山々を持ったのである。芸北の山々、恐羅漢山と言ひ、十方山と呼ぶ山々のことである。地味な美しさと、素朴な人情である。文化を知らぬ静寂と、平和である。若い私の魂を全く魅了してしまったそれである。私はふるさとに帰へるようにその山懐を訪ねた。郷愁は胸をこがし、ひたすらにその山肌をあこがれたのである。「焚火」加藤武三著
    
この感覚はタカ長なりに理解できます。

    

その頃の恐羅漢山をめぐる山には若い登山者であふれていました。もちろん、タカ長もその一人です。

若い登山者はザックに色々なものをつめこんで、12㎞の内黒峠道を歩いて古屋敷に下り、それぞれの山に登っていました。

若いということは悩み多き年代であるということです。人生の悩みもあれば仕事上の問題もあります。惚れたはれたの悩みもあります。

    

そのようなものを持って大きな自然の中を歩いていると、人ひとりの存在など小さなものに思えてきました。死にたいくらい思い詰めていた問題なども、とても小さなものに思えてきて、山を下りるころには心の悩みなど霧散していました。

そのような登山をくり返していました。

    

加藤武三の言うように、恐羅漢山をめぐる山は「小さな山」です。しかし、小さな山でも人ひとりの存在と比べると大きなものです。圧倒されるようなその大きな山の前では人は素直になるものだと感じていました。

    


そのような山旅で癒されていましたが、その中で忘れてはならないのが村人たちとの交流です。

純朴な村人からどれだけ癒されたか、はかり知れないものあります。定宿のMさん家族との交流、そこには故郷の家のような温かさがありました。

テント泊の登山であっても、雨の日はMさん宅に遊びに行っていました。炬燵の中で長時間おしゃべりして、夕方になるとテントに帰って行きました。

    
             本日の画像は十方山登山の時に撮ったものです。

恐羅漢山をめぐる山で多くのことを学んだ、と書きましたが、そこで学んだのは単なる登山技術だけではありません。それ以上に大きなものをここで学んでいたように思います。

広島の登山者にとって恐羅漢山をめぐる山は心の故郷であり、人生の学校でした。

    つづきます。