タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

何たるドジだぁ!~4

2020年09月14日 | 山歩きから
その頃恐羅漢山をめぐる山には若い登山者であふれていました。

若いということは悩み多き年頃、豊かな感性を持っていると言うことです。若い登山者はそのようなものをザックに詰めて恐羅漢山をめぐる山を歩いていました。

若い登山者は恐羅漢山をめぐる山に癒され、山から多くのことを教えられました。山は登山者たちの学校でした。このような認識はタカ長だけではなかったはずです。

     

サンパチ豪雪にすべてをこわされ、心にポッカリと穴が開いていたころ、恐羅漢山にスキー場が出来ることを知りました。

あの山にスキー場をつくることは自然破壊につながることは認識していました。しかし、サンパチ豪雪ですべてをこわされ、離村を余儀なくされた村人を見ているタカ長はその計画に反対する気になれませんでした。

     

村人たちには村人たちの生活がある。スキー場が出来ると村人たちの雇用の場が生まれると思ったのです。
しかし、タカ長のその考えは甘かったようです。スキー場が出来ても恐羅漢山のふもとの状況は変わっていないようです。

     

スキー場が出来て、タカ長の足は恐羅漢山から遠のいて行きました。あれほど通っていた恐羅漢山に行かなくなりました。

恐羅漢山をめぐる山を再び訪ねるようになったのは、団地の同好会として山グループを立ち上げてからです。最初に十方山に行きました。
その後、恐羅漢山にも行くようになりましたが、その頻度はおおくありません。

     

その頃はマイカー時代になっていました。、恐羅漢山をめぐる山を日帰りできました。

若いころから恐羅漢山をめぐる山を歩いている登山者としては、日帰りで恐羅漢山をめぐる山に登れることはウソみたいに思われました。
その感覚が無くなるまで1年も2年もかかったように記憶しています。

     

タカ長に限りませんが、広島の若い登山者の心はいつも岩山、岩稜のある高い山に向いていたはずです。しかし、広島にはそのような山はありません。そこで次善の策として、ブナに覆われた恐羅漢山をめぐる山を歩いていた、と言っても大きな間違いはないと思います。

ブナの山の良さを知ったのはある程度歳をとってからです。若かったタカ長は広島の藪山にある種の劣等感を持っていました。

藪山を歩くには藪山を歩く技術みたいなものがあります。岩稜の山を歩けない劣等感の裏側で、このような山を歩かせたら中央の登山者には負けない、と心の中で強がっていました。

良きにしろ、悪しきにしろ、広島の登山者は広島で育ってゆきました。その中心にあったのが恐羅漢山をめぐる山です。恐羅漢山をめぐる山は広島の登山者にとって忘れることができない学校でした。

     

今はスキー場のスロープになっているここが、かつては田んぼであったことを知る人は少なくなったようですが、この歳になるとタカ長にとって恐羅漢山をめぐる山は大切な学校であったことを痛感します。

その学校に縁があった人たちが集まって行う山歩き、もうかつてのような登山は出来ませんが、そのような「同窓会のような登山」は素晴らしいものだと思います。

そのような登山を10月10日に予定しています。