場末と言う言葉を聞いて人はどのような景色をイメージするのでしょうか?
繁華街を外れた、薄暗い路地の一杯飲み屋。下戸のタカ長でもそのようなイメージを描くことが出来ます。
場末の山、と言うような言葉はないのでしょうが、昨日、仲間たちと3名で行った羅漢山でそのような言葉が頭に浮かんできました。その話題です。
羅漢山(1109m)は広島・山口県境にある独立峰です。広島の登山者にとっては間違いなく名峰です。
青春のころから登っていますが、そのころは南の美和町秋掛から歩き始め、羅漢山に登って北側の羅漢温泉に下りていました。初めて登ったのは落葉期で、明るいミズナラの森を歩いたような記憶が今も残っています。
マイカー時代になるとレジャーランドのような山になりました。その頃は秋掛から登ることは無くなりましたが、開発されたことにさしたる違和感を感じることもなく、何度も登っていました。
駐車場のそばにはこのようなものがあります。錦町は羅漢山の西側にある町ですが、そこに見えるのは星野哲郎・市川昭介と言うビックネーム。
タカ長は見たことがありませんが、センターには横尾忠則の天井画があるそうです。
青少年旅行村とかちびっ子動物園のようなものもありました。これらのことから連想されるように、羅漢山はそれなりに賑やかな山になっていました。
その山を昨日歩きました。先ず、南側の法華山に登り、1枚目の写真を撮りました。その後駐車場に帰り、羅漢山の山頂を目指しました。
タカ長には嬉しくない、人工林の中の階段道が続いています。ここは一気に登りました。
山頂まで800メートルと言うような表示が出てきますが、その800メートルが年々長くなっていくような気がします。
山頂の展望台でのんびりするつもりでした。昼食を食べながら、ハチクマの飛来を待つつもりでしたが、トビはおろかカラスも飛びませんでした。
持参した双眼鏡で広島市内や安芸の宮島などを見ただけです。
山頂には誰も来ませんでした。
それだけではありません。羅漢山の駐車場から法華山に登り、そしてここまで誰にも会っていません。まさに無人の山です。
仲間は心の中で三橋美智也の「古城」を歌いながら歩いていた、と言っていました。その歌が似合うような風景になっていました。
山を下りてもタカ長たちだけの世界でした。
ここからアスファルト道を出発点まで歩きます。左には牧場がありますが、馬が2頭見えただけでした。
駐車場の近くまで帰ったとき1台の車が上って行きました。オートキャンプ場のゲイトを閉める人がいました。
一番上の、営業中と書かれたものが放置された店のそばで一人の人影がありました。
人が二人と車が1台、これがすべてでした。いくらウイークデイとは言っても少なすぎます。
このような青空の下を歩きながら「場末の山」と言うのはおかしいのですが、本当にそのような言葉が突然心に浮かんできたのです。
たまたま昨日だけがそのような状態だったのかも分かりませんが、、、、、、。
帰りに立ち寄った道の駅は満車に近い状態でした。
繁華街を外れた、薄暗い路地の一杯飲み屋。下戸のタカ長でもそのようなイメージを描くことが出来ます。
場末の山、と言うような言葉はないのでしょうが、昨日、仲間たちと3名で行った羅漢山でそのような言葉が頭に浮かんできました。その話題です。
羅漢山(1109m)は広島・山口県境にある独立峰です。広島の登山者にとっては間違いなく名峰です。
青春のころから登っていますが、そのころは南の美和町秋掛から歩き始め、羅漢山に登って北側の羅漢温泉に下りていました。初めて登ったのは落葉期で、明るいミズナラの森を歩いたような記憶が今も残っています。
マイカー時代になるとレジャーランドのような山になりました。その頃は秋掛から登ることは無くなりましたが、開発されたことにさしたる違和感を感じることもなく、何度も登っていました。
駐車場のそばにはこのようなものがあります。錦町は羅漢山の西側にある町ですが、そこに見えるのは星野哲郎・市川昭介と言うビックネーム。
タカ長は見たことがありませんが、センターには横尾忠則の天井画があるそうです。
青少年旅行村とかちびっ子動物園のようなものもありました。これらのことから連想されるように、羅漢山はそれなりに賑やかな山になっていました。
その山を昨日歩きました。先ず、南側の法華山に登り、1枚目の写真を撮りました。その後駐車場に帰り、羅漢山の山頂を目指しました。
タカ長には嬉しくない、人工林の中の階段道が続いています。ここは一気に登りました。
山頂まで800メートルと言うような表示が出てきますが、その800メートルが年々長くなっていくような気がします。
山頂の展望台でのんびりするつもりでした。昼食を食べながら、ハチクマの飛来を待つつもりでしたが、トビはおろかカラスも飛びませんでした。
持参した双眼鏡で広島市内や安芸の宮島などを見ただけです。
山頂には誰も来ませんでした。
それだけではありません。羅漢山の駐車場から法華山に登り、そしてここまで誰にも会っていません。まさに無人の山です。
仲間は心の中で三橋美智也の「古城」を歌いながら歩いていた、と言っていました。その歌が似合うような風景になっていました。
山を下りてもタカ長たちだけの世界でした。
ここからアスファルト道を出発点まで歩きます。左には牧場がありますが、馬が2頭見えただけでした。
駐車場の近くまで帰ったとき1台の車が上って行きました。オートキャンプ場のゲイトを閉める人がいました。
一番上の、営業中と書かれたものが放置された店のそばで一人の人影がありました。
人が二人と車が1台、これがすべてでした。いくらウイークデイとは言っても少なすぎます。
このような青空の下を歩きながら「場末の山」と言うのはおかしいのですが、本当にそのような言葉が突然心に浮かんできたのです。
たまたま昨日だけがそのような状態だったのかも分かりませんが、、、、、、。
帰りに立ち寄った道の駅は満車に近い状態でした。