タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

あぁ~今日も雨

2012年07月05日 | 日々雑感
 雨が続いています。九州のような、被害が出るほどの雨ではありませんが、三日続きの雨にはうんざりしています。

         

 雨が降っても、すること、、、、やりたいことが無いわけではありませんが、、、、、何となく気が重くて、、、、、、。

 一昨日は四国へ行ってベルさんに会う予定でしたが、と書くと誤解されるかなぁ?(本当は誤解して欲しいけど、、、、、誰もタカ長の行動などには関心を持たないだろうなぁ)

 本当はヒマラヤの青いケシを見に行き、その現場でベルさんと合流するつもりでした。しかし、雨で中止にしました。

 もし雨をついて行っていたら、おそらくしまなみ海道で豪雨に見舞われ、途中から引き返してくることになったはずです。

         

 昨日はほとんど終日パソコンの前に座って、タカ長団地のホームページの更新をしたり、、、、、、、、そのままになっていた今春の韓国旅行の画像を整理したり、、、、、、。

 しかし、外に出ないと何となくネタ不足で、ブログの更新にも意欲がわきません。タカ長の友だちのブロガーの皆さんは頑張っておられるのですが、、、、、。

 本当はネタが無いわけではありません。介護の問題などを取り上げればわが家にはいくらでもネタがころがっていますが、この件はチョッと生々しすぎてタカ長ブログにはなじみません。だからと言って介護をテーマにしたブログを立ち上げる気にもなれないし、、、、、。

         

 雨が上がれば暑い夏がやって来ます。タカ長の苦手な夏です。それも嫌なのですが、、、、雨続きも嫌ですね。

 さわやかな秋空を飛ぶハチクマを見るのは暑い夏を耐えてから。グチグチ言わないでその日を待つことにします。その日まであと2ヵ月と少しですから、、、、、。

    

 最後にハチクマの写真をドカ~ンと貼り付けます。5月に韓国で撮影したものです。

 タカ長観察地で、タカ長でも撮ることが出来る、、、、、このようなハチクマが現れることをひそかに願っているところです。

 無理かなぁ???




これも性???

2012年07月03日 | 日々雑感
         

 7月1日に「農家民宿たなか」の五郎さんと訪ねた桜井家。敷地だけでも拙宅のン十倍。

 そもそもそのような比較をすること自体がおかしいですね。ここはわれわれの生活とはまったくの別世界ですから、、、、、。

      

 松江藩主の不昧公をはじめ歴代藩主が6回も御成になっただけはあります。今でもこの敷地に入ればよその家が見えない山のなか、このような所への藩主の御成、お付の人たちの苦労はどのようなものだったのか愚考するタカ長です。

         

 そのお屋敷の、一般の人は入れない殿の座敷に上げていただき、、、、、、、、それだけでも感激モノなのに、、、、

         

 柱やら鴨居やら、あちらこちらを触って、、、、、どのような木を使っているとか、、、、どのように組んでいるとか、、、、、。

 チョッと余談ですが、この手の右のほうに虫食いの痕がありますが、それは不昧公が風流を解する人だったらしく、その時代から残されているとお聞きしました。

         
 私たちのグループには●●建設とか、、、、、■■工務店とか、、、、◆◆組とか、、、、その世界の大手のOBが居て、、、、、、

 このようなところへ行くと現役の頃の血がうずくのか、、、、、ついつい(?)このようことをはじめてしまうのです。

 殿しか上がれない座敷に上がり、あちらこちらを触りまくっていたら、世が世であれば打ち首(?)。

 五郎さんと一緒に来たとは言え、そのようなことが出来るのですから良い世の中になったものです。

 それにしてもこのような建築物を見ると手に触ってみたくなるのは、、、やはりそのような世界で何十年も生きてきた者の性なのでしょうか?

農家民宿「たなか」

2012年07月02日 | 山歩きから
 週末広島県の最北部、庄原市高野町に行ってきました。行き先は「農家民宿たなか」。

 その記事ですが、本人の了解を得ていますから実名記事にします。

 この田中五郎さんはタカカノの実弟の嫁さんのお兄様になります。その田中さんが高野町に住んでいることは、当然のことですが前々から知っています。タカ長たち山のグループは立ち上げ当初、タカ長の古い山友だちの家を利用させてもらい毎年のように田舎遊びをしていました。山菜と採ってテンプラにしたり、ゴギを買ってきて囲炉裏の傍で焼いたり、、、、。そのような遊びを何年もしたものです。

 しかし、先方の都合によってその家を使わせてもらえなくなり、私たちの田舎遊びは途絶えたままになっていました。高野町の田中さんに相談すれば何とかなることは分かっていましたが、このような場合親戚に頼るのは易しいような難しいような、、、、。その気持ちはお分かりいただけますね。

 ところが先日タカカノの母の葬儀の席で、その田中さんが農村民宿を始められた、と聞いたのです。それなら話は簡単ですね。そのようなことを始められたのなら、私たちがお客さんとなって訪ね、当然のことですが必要な費用を支払えば済むわけです。

 そのような思いを持って、先ずはタカ長たちが数名先遣隊として下見に行ったわけです。

         

      

 当日はあいにくの雨でした。土曜日も日曜日もシッカリ降られました。しかし、農家民宿のために新築された「ほっとハウス」はもちろんですが、そのそばのバベキュウするスペースも屋根があって雨のほうは問題ありませんでした。

         

 これはほっとハウスの中です。奥にノルウェ製の薪ストーブあります。このために車が一台かえるほど投資されました。家族の人は反対だったようですが、冬になると薪ストーブのそばは暖かくて、自然その前に集まることになったようです。

 ほっとハウスにはベットが4名分あります。そのほか母屋のほうに8名泊まることができるよう許可をとっておられます。ここでの宿泊は12名まで、と言うことでしょう。費用は1泊4,000円(朝食付き)です。

      

 私たちは到着早々バベキュウの準備。14時過ぎから初めて、、、、、途中中休みみたいな時間もありましたが、、、、タカ長が床についたのは22時30分です。飲めないタカ長でもこのような席は好きなので最後まで付き合います。

         

         

 奥の男性メンバーはそれはそれは良い顔をされていました。女房殿の居ないところで、、、、利害関係がまったくない友だちと楽しく飲むことは無上の喜びなのですね。そのことが良く分かりました。

 私たちにも一応肖像権もあるでしょうからモザイクを入れましたが、本とはそのようなものを入れないで、、、、、なおかつ大写しの顔を見てもらうとその夜の雰囲気を分かってもらえるはずです。

 高野町から帰ってすぐ次のプランを考えています。

     秋は蕎麦を打って食べればよい、と聞きました。山に入って自然薯を掘ることも出来ます。

     ここをベースに島根県森林公園まで歩いてゆくことも可能です。もちろん近くをウォーキングすることも出来ます。

     前の川ではうなぎを取ることも出来るとか、、、、、

 楽しい遊びを考えればいくらでもアイディアが出てきそうです。

 そのなかでタカ長たちがやりたいのは「そば打ち体験」ですね。この秋の新そばの時期に予定するつもりです。

         タカ長ブログファンの皆さまも是非お出かけ下さい。

 この田中さんに相談すればいろいろなアイディアが頂けるはずです。

 現地は何もないド・田舎ですが、来年度からは高速道(と言っても三次以北は無料)が開通するのでアクセスも良くなります。タカ長団地からだと2時間あれば楽に行けます。

 携帯の電波も届かない、何もないところがウリの民宿ですが、人が好きな田中さんご夫妻との交流はきっと素晴らしいものになるはずです。

 名刺には「百姓」と書かれています。いま栽培されているのはアスパラです。ハウスもので、土づくりに手をかけておられるので甘くておいしいものが出来ています。このアスパラもお勧めですね。

 今日は記事だか宣伝だか分からないものになりましたが、あまりかたいことを言わないでご容赦下さい。

 とにかくこの名刺に書かれているような「ほっとな感動」を求めて訪ねられるようお勧めします。








可部屋集成館そして桜井家住宅

2012年07月01日 | 山歩きから
頭が高い、殿であるぞ!

 昨日から1泊2日で「農家民宿たなか」に行ってきました。場所は広島県の最北部、いまの庄原市高野町です。

 高野町と言えば広島県のチベットのようなところで、冬になると雪が降った、何メートル積もった、と言うようなことが報道されるので、広島県の人にはなじみの町です。携帯電話の電波も届かないところにある「農家民宿たなか」のことは後日紹介するとして、今日は可部屋集成館のことです。(紹介というほどのことではありませんが、、、、)

         

 ここは可部屋集成館のそばの桜井家住宅。

 桜井家住宅は鉄師頭取の館であり、島根県奥出雲を代表する近世、近代の民家住宅です。

 享保20年(1735年)の南土蔵の初普請以来今日まで鉄師の本拠住宅として現存する当地方の貴重な文化遺産でもあります。平成9年に主屋、土蔵など21棟が島根県有形文化財に指定され、その後平成15年には、そのうち主屋をはじめ9棟が国の重要文化財に指定されています。

 その桜井家には松江藩第7代藩主松平治郷(不昧)公を最初に、歴代藩主が6回にわたって来駕されています。そのときに利用されたのがこの主屋です。

 この桜井家は一般公開されています(有料)が、、、、、、、この種の住宅には、、、、

         

 このような表示があって、普通は殿様が入られる部屋は見ることが出来ません。ところが今日のタカ長たちは別です。

 ここに案内して頂いたお百姓さんはただのお百姓さんではなくて庄原市の市会議員、そのためかどうかその桜井家とは交流があり、その縁で桜井家の奥様にお出迎えいただき、上に上げていただきました。

         

 上に上げていただき、、、、、この間よりさらに一段高い、殿様が入られる部屋まで案内して頂きました。

         

 最初の写真は殿が座られるところで撮ったものです。タカ長の守●●は何とも品がないですね。まぁ、仕方ないか、、、、、。

         

 その部屋の外、縁側の部分はこのようになっています。一段高くて広いところが殿が歩かれるところ、それ以外のものは一段低いところを歩くだけで、この高いところに上がることは出来ません。タカ長は私たちのグループで「殿」と呼ばれているので、この高いところを堂々と歩かせて頂きました。

         

 この桜井家庭園は享和3年(1803年)桜井家に初めて松平不昧公の御成のときに作られたものです。流れ落ちるこの滝を不昧公が「岩浪」(がんろう)と名づけられ、「岩浪の庭」と呼ばれています。

         

 この桜井家には現在13代頭首夫妻が生活されています。このような文化財級の家に暮らすのはどのようなものなのか、タカ長のような平民にはうかがい知ることが出来ません。

 今日はその13代頭首も御成いただき、この屋敷について説明して頂きました。

 可部屋集成館にはこの桜井家に伝わる文物が展示されています。

 桜井家は戦国の武将塙團右衛門の末裔家ですが、13代に渡り優れた頭首を輩出したのでしょう。一代でも凡庸な人がいるとこの種の文物は無くなってしまうのですが、この桜井家ではそのようなことがおきなかったのですね。

 考えてみればそのことはすごいことです。本当に、、、、、、。