タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

気持ちほどには体が、、、、、

2020年03月02日 | 山歩きから
スマホから投稿したように、独りで窓ヶ山に行きました。

自宅から団地下のバス停まで徒歩、そこからバスで行きます。

そのバスは通学の高校生が利用するバスで、ウイークデイには乗りにくいのですが、今日は学校も休みなので、バスは混まないと読んだのです。

その読みはピタリとアタリました。タカ長が乗ったときは乗客ゼロでした。(アタリすぎ?)

これなら新型コロナウイルスも心配ないようです。

    

そのデータですが、感覚的には累計標高差が少ないように思います。

この尾根の縦走はアップダウンがあるので、もう少し大きな数字になるはずです。

    

この尾根を歩くのは初めてではありません。何度も歩いていますが、バス停からバス停まで歩くのは今日が初めてでした。

所々でこの程度の展望はありますが、「展望の尾根」とは言い難い尾根です。

    

所々で岩を楽しむことが出来る尾根歩きです。

その尾根を問題なく歩きました。

想定通りの時間に東峰につき、ここで昼食。

        

誰もいない頂上なので、セルフタイマーでワンショット。

青空なら嬉しいのですが、山を下りるまで雲が多い天気でした。

    

そのためこの岩からの展望もイマイチです。

所々で展望を楽しむことが出来るので、私たち山グループ最初の山に選んだのですが、昨日の記事のように雨で中止にしました。

下山は想定以上に時間がかかりました。

倒木に邪魔されるところもありました。しかし、予定していたバスにギリギリ間にあいました。

    

団地の下のバス停から帰る頃にはご覧の青空でした。

団地への坂を上っている時に、タカ長の大後輩になる小学生から声をかけられ、おしゃべりしながら帰りました。

そのようなことで気持ち的にはまったく切れていないのですが、、、、、

    

これだけ歩くと足は疲れました。

車にたとえたら、エンジンは問題ないけど、、、、足回りが、、、、チョッと、、、、

と言うような感じです。

最後の段階で、小学4年生の男たちとおしゃべりしながら団地への坂道を上ることが出来るのですから、気持ち的にはまったく問題はありません。

足をひきづりながら歩いたわけではありません。

しかし、終わってしまえば、足回りの疲れはかくすことが出来ませんでした。

別に痛みがあるわけではありませんが、気持ちのようには体が動かないようです。

この歳だから仕方ないのでしょうね。



    

初めての「裏山」

2020年03月01日 | 山歩きから
天気が回復しました。しかし、今日は何となく山に行きそびれました。

まぁ、こんな日もあります。

    

私たちの山歩き、は3月3日の裏山歩きが1,788回になります。

その記録を仲間が克明に記録してくれています。

最初の山は窓ヶ山でした。しかし、その日は雨で中止になり、窓ヶ山は幻の「第1回登山」になっています。

1788回と言う数字は、本当は正確な数字ではありません。その理由は記録係の怠慢ではありません。

いつの頃からか記録はありませんが、裏山は歩いていました。しかし、半日で終わる山歩きを「登山として認めていなくて」、記録には残さなかったのです。

そのためかなり多くの数字が欠落したはずです。

    

私たちの記録に初めて「裏山」と言う記録が見えるのは2000年11月4日です。228回目の山行きです。

記録をチェックしましたが、それまでに「自然歩道」と言う記録はありましたが、「裏山」と言う記録はありません。

しかし、裏山という記録は残っていませんが、裏山は歩いていました。

   

初めての集合写真を特別公開します。あの頃はタカ長もふさふさしていました。

25年の変化には大きなものがあります。

私たちの記録に「裏山」が登場する前に北アルプスなどの山に登っています。

初めての高山は1997年に登った加賀の白山です。

初めての3000メートル峰は木曽御嶽です。ロープウェイ利用ではなく、岐阜県側の濁河温泉から往復しました。

99年には立山三山の縦走、2000年には北岳に登りました。

それらの山に登るひと月前に四国の石鎚山や剣山に登りました。しかし、当たり前のことですが、それだけの準備で私たちのような弱いチームがアルプスの高峰に登れるわけがありません。

記録にはありませんが、裏山を歩いた記憶はあります。「ジャイアントコースを登らされた」と言うのが今でもわが家の語り草になっています。

雨具をつけて歩くトレーニングと称して、わざわざ雨の日を選んで裏山を歩いたこともあります。

    

台風の動きを気にしながら登った白馬岳です。

この登山が終わったあとの11月に初めて「裏山」が記録されているのです。

その様なわけで1788と言う数字は正確なものではありませんが、だからと言ってその記録は、裏山を除けば正確に、克明に記録されているので、今の私たちはこの数字を公式記録として活動しています。

    

その裏山歩きですが、牛池往復だけで1万歩にはなります。歩くコースを変えれば2万歩の裏山歩きが出来ます。

歩数の記録はありませんが、累計の標高差を見ると、毎年インド洋の海の上からエベレストの頂上を2回往復するくらいは歩いたことになっています。

私たちの山歩きは小さなものですが、その数字でも累計すると大変な数字になることを実感します。

そのようなことを考えると、裏山歩きを登山として認め、登山回数を増やすためにもなることを考えたことはタカ長のヒットだったと思います。