★母の日と娘、5月10日
7歳:お母さんは何でも知ってる
15歳:お母さんは何もわかってない
18歳:お母さんなんかいなくてもいい
20歳:お母さんは古すぎる
30歳:お母さんに相談しよう
40歳:お母さんだったらどうするだろう
60歳:お母さんに相談したかった
★ドラマ、JIN・仁
後半部の感想。
前半に比べて感動が薄かったのは残念。
それだけ前半部には力が込められていた。
まず、タイムトリップというのはこのドラマの大前提だから、それを受け入れるのが始まりだが、後半はそれに絡めとられて原作者が自家中毒(整合性と矛盾)の葛藤を起こしたのではないか。だから情緒的に流され過ぎた。
それよりも史実を素直に受けとめて、その中で一つ一つの歴史エピソードを大事にして欲しかった。
だから時折、安いSF漫画を見ているようで興ざめするところがあった。
主題はタイムスリップではなく、医療と人生ドラマに焦点を絞って欲しかった。
さて、大沢たかおと綾瀬はるかのラブストーリー。
ついに二人の恋は結ばれることはなかった、形式的にも肉体的にも。
しかしそれでは余りにも不自然、原作者の我儘といっても過言ではない。
私が南方仁先生だったら、ある夜分、自分の寝室に綾瀬はるかを呼びつける。
綾瀬はるかはそれなりの覚悟をしつつ、武家(上士)の娘として楚々として障子の外から南方先生に声をかける、「何か御用でも」と。
部屋に入るように言われ、綾瀬はるかが意を決して膝を進めていけば、行灯(あんどん)の火がふっと消され、静かに布団に押し倒される。
それが男と女という生き物であり、男の礼儀でもある。
そして子供の5人も作ったことだろう。
綾瀬はるかが自ら望んで同じ屋根の下で暮らした時から、覚悟はしていたはず、また期待もしていただろう。
しかし本編は、南方先生が正式に綾瀬はるかにプロポーズした時、綾瀬はるかは毅然と断ってしまった。
呆然とする南方先生だったが、それは熟柿が地面に落ちた後だったのか、それとも原作者は少年漫画の世界に安住したのか。
うがった見方をすれば、南方先生は男が好きで、あるいは綾瀬はるかは、とてつもない醜女(しこめ)だったのか。
とまれ、大沢たかお演じる南方先生は良かったし、龍馬の内野聖陽も良かった。
また女優陣では綾瀬はるかの魅力に惹きつけられ、中谷美紀の迫力に息を呑む思いがした。
★朝日新聞、憂鬱な人たち。
朝日新聞編集委員の牧野愛博がフォーブスに書いたコラムが、日韓で問題になっている。
その問題となった部分は、「日本、韓国というレッテル貼りはやめて支援する側は明らかにせず、支援を受ける側も善意をそのまま受け取ることはできないだろうか。日本のタイガーマスク運動が日韓で繰り広げられるのは無理なのだろうか」
つまり牧野さんは、韓国は匿名でマスクを日本に寄付したらどうか、日本はその善意を受け取ったらどうか、というもの。
〈じゅうめいコメント〉
おめでたいというか、外交音痴というか、ソウル支局長を経験しながら朝鮮人気質を理解するどころか、いや意図的に日韓の火種に油を注いで、炎上商法をやっているとしか思えない。
日本国内のタイガーマスク運動が外国間で通用する訳がないし、それが韓国という厄介な国であれば、逆に善意が悪意に変わるだろう。
日本は要請もしていないのに、また関心もないのに、韓国だけが一人舞い上がり、「日本が謝罪して頭を下げればマスクと検査キットをやらんこともないニダ」と、うそぶく朝鮮人の発言を聞くと身の毛もよだつ。
そもそも善意なきマスクなどいらんし、4月末の時点で、連休明けには中国製マスクが大量に市中に出回ると囁かれていたが、実際そうなりつつある。
そして遠からず中国製マスクは売れなくなり、日本製マスクが日本市場を独占するだろう。
(韓国ネットの反応)
マスクが余っても、独島(竹島)でみんな燃やしてしまえ。
チョッパリにはマスクの紐さえも与えてはならない。
日本には何回も行ったが、表と裏の顔が違う猿たちニダ。
猿を助けることはまったく意味のないことニダ。
どう考えても、主敵は日本ニダ。
牧野愛博、55歳
朝日新聞編集委員(朝鮮半島問題担当)
早稲田大学法学部卒
ソウル支局長歴任
(じゅうめい)