★伊丹十三の死。
1997年12月20日、奇才、伊丹十三はなぜ殺されたのか。
伊丹十三の死について書きたい。
彼はいつ死んでもいいように諦観はしていた、なぜなら生と死はあざなえる縄のようなものだから、死もまた必然、その伊丹の思想は女房がよく知っていると天界から伊丹は告げている。
麻布警察による死因の正式発表は「飛び降り自殺」という断定であった。
理由は、遺書が残されていたこと、飛び降りたビルの屋上に争った形跡がなかったことだという。
しかし事件を推理していくと、こんな弱い物証で自殺と断定したのは麻布署の怠慢であろう。
自殺どころか少し頭を回せば、他殺の線が濃厚なのだ。殺し屋は最初から自殺と見せかける絵図を描いていたはず。だから自殺の証拠だけを残していく。
遺書? 脅かされて時間稼ぎに書いたとしたら、あるいは緊迫の状況の中、客観的に殺人劇を楽しむようにして書いたとしたら、そして、その遺書には妻・信子にしか分からぬ暗号が書いてあったとしたら。
伊丹は身の危険を感じており、何かあった場合、妻にしか分からぬ「暗号」を教えていた。
さて、熟練した法医学者は言う。
「自殺する時にお酒を飲んでから決行する人はいますが、飲む量はわずかですね。ブランデーのような強い酒をボトル1本飲み、したたかに酔ってから自殺する人はいません。このデータは多数の自殺事例から分析されたものです」
司法解剖の結果、伊丹は、すきっ腹にヘネシーをボトル1本飲んでいる。
血液中のアルコール濃度及び胃袋のブランデー残留量の分析の結果、短時間で体内に入ったものと推測される。
度数40度のへネシーブランデー1本を短時間で飲み干し、したたかに酩酊した人間が、一人で階段を登り、争った跡が無く、さもシラフのように静かにフェンスを乗り越え、ビルの屋上から落下したという。
実際には酩酊ではなく、短時間で度の強いアルコールを多量に摂取したことにより、昏睡状態に陥ったと見るのが医学的所見だ。つまり失神した。
殺しの動機? まさしく逆恨み。
伊丹の撮った映画の中では暴力団をバカにするシーンがよく出て来る。
人の弱みにつけ込んで蛇蝎のように闇社会で棲息する暴力団をコケにしたらどうなるか。
さて1997年、年の瀬も押し詰まった12月20日、麻布の秀和マンション伊丹事務所に伊丹は一人いた。
佐川急便の配達人によってベルが鳴らされた。伊丹がドアを開けた瞬間、ドアの外側に隠れていた男2名を含む3名が押し入り、伊丹の身体をロープで縛り、口には猿ぐつわをかけた。
殺気を感じた伊丹は、声を出して相手を鎮めようとしたが、暴漢グループは聴く耳を持たなかった。非人間的な冷酷さを直感した伊丹は、既にその時点で、死を覚悟したのかも知れない。
最後の時間稼ぎに遺書を書く提案をした。暴漢もその方が都合が良いと思い許した。
「噂の女性との不倫について身の潔白を死んで証明します」という遺書が残された。
伊丹は当時、週刊誌「フラッシュ」から女性スキャンダルを追いかけられていた。
その身の潔白を証明する為に自殺すると遺書を残し、それを持って警察は覚悟の自殺として発表した。
しかし、その遺書の内容は、どう読んでも稀代のインテリであった伊丹らしからぬ、三文歌詞であり、その遺書には殺人を訴える暗号が隠されていた。
そもそも女性スキャンダルは伊丹夫婦の間で話題になっており、伊丹は、「芸能界だからね、少しは映画の宣伝になるかな」と、目を細めて笑っていたが、虫の知らせか、もし自分が殺されるようなことになったら、「死をもって身の潔白を証明する」という暗号を残すことを妻に伝えた。
これは良くできたシナリオだと伊丹自身も気に入っていたのだが、紫煙が揺らぐような少しの不安も同時に覚えていたに違いない。
さて他殺の現場、ロープで縛られた伊丹は、じょうごで口を割られ、ヘネシーを胃の中に流し込まれ、たちまちにして酩酊し、昏睡状態に陥った。
伊丹の身体はサーフボードバッグに入れられ、何食わぬ顔で伊丹の部屋から出てきた暴漢グループは、エレベーターと階段を使い、冬の冷気をはらむ屋上に出た。
外は既に暗い。そして、ためらうことなく、フェンス越しに伊丹の身体を地上に投げ落とした。伊丹は僅かな時間、空中をさまよったが、既に意識はなかったろう。
遺書を書き終えたとき、パソコンに呼び出し、最後の別れをした妻、宮本信子の顔が寂しく微笑んでいた。
★犯人、つまり暴漢グループとは何者か。
実は当時、伊丹は脅迫を受けていて、桜田門から身辺警護を付けられていたのだ。
5年前の1992年、伊丹を襲い刃物で重傷を負わせた菱の代紋、武闘派G組の組員5名は、4〜6年の懲役刑に服したが、その後、それぞれ仮出所したことが分かっている。
そして、蛇蝎のような奴らが向かった先は、麻布の伊丹事務所だった。
(じゅうめい)