先日あるHPのエッセイで自由形車両について書かれたものがあり結構触発される所がありました。
そこでの論旨とはいささかずれた内容なのですが自由形についての私が思うことについて書いてみたいと思います。
私の場合フリー車両を作るような場合と言うのは以下の理由による事が多いです。
1)ジャンク品なんかで手に入った素材を見て「ここをこういう風にいじればおもしろそうだと思った」ケース(笑)
2)自分のレイアウトにこういう車両が欲しいと思い、市販品に適合しそうな物がなかったケース
3)最初からパーツの欠落があるジャンク品を買った時に他の車両のパーツで充当したケース(これについては以前「光山仕様」と称してブログに書いた事があります)
何れの場合も「すべてをゼロから作る」というフリー車両のポリシーとは若干異なるスタンスで対応している事になります。
ただ、どのケースでも言える事ですが「自分のレイアウトで運用する」という前提での製作・改造ですからおのずと「使用条件に伴う縛り」があるのが特徴と言えば言えます。
以前あるサイトに掲載されていた文章で観た事があるのですが「フリー車両は車両工作で細密度を落としたいための逃げ道だ」といった様な論旨の物がありました。
個人的に感じるのですがほぼ全てが架空の風景や線路配置に寄っているレイアウトでは外見上の忠実度もある程度大事ですが、それ以上に「きちんとレイアウト上で運用できる」事にも同じ位の意を尽くす必要があると思えます。
その使用条件にきちんと合致していれば架空の設定にも基づくフリー車両でも存在する必然があり、むしろ実車をなぞった車両よりも存在感に於いてリアルであるという事も大いにあり得る事です。
(第一組みこむパーツの中のどれが必要でどれが不要かという見極めができないと本来の意味でのフリー車両は作れない気がするのですが)
それに何もかも実物準拠で作ってしまうと運転に供する場合に支障をきたすケースが多くなります。
第一そこまで拘りだしたら動力台車が殆ど首を振らないEF級の旧型電機のほぼ全ては「事実上直線かそれに限りなく近い緩曲線(最急カーブでも16番換算で半径4M近い)しか走れない」事になってしまい何のためにモータとギアを組み込んでいるのかすら分からなくなります。
この辺りの妥協点を外見の忠実度より走行寄り、運用寄りの観点に取り、そこに合致する所で手を加えるというのが私が車両改造、工作で考える立場です。
但しこの論旨はあくまでレイアウト派から見たフリー車両の捉え方であり純粋な車両工作派とはニュアンスに於いて異なる物ではあると思います。
ただ、車両工作派のフリー車両でもよく出来ている物は大概それを支える設定がきちんと出来ている事が多いとも思えますが。
それとこれはレイアウト派、運転派ならではの発想ではないかと思うのですが「自分のレイアウトに自分の思うままに作った車両が走る」あるいは「レイアウトの設定に準拠した自分だけのオリジナル車両が走る」というのはまさに「鉄道そのものをものした」という独特の快感が感じられて嬉しさもひとしおなものがあります。
世界的に見ても著名なレイアウトの殆どには大概その鉄道オリジナルの車両がいくつかあったりしてそれが魅力のひとつにもなっていますから私一人だけの感覚でもないようですし。
(まあ、私の場合、工作の腕そのものとの落差の激しさにがっくりくる事も多いのですが汗)
そこでの論旨とはいささかずれた内容なのですが自由形についての私が思うことについて書いてみたいと思います。
私の場合フリー車両を作るような場合と言うのは以下の理由による事が多いです。
1)ジャンク品なんかで手に入った素材を見て「ここをこういう風にいじればおもしろそうだと思った」ケース(笑)
2)自分のレイアウトにこういう車両が欲しいと思い、市販品に適合しそうな物がなかったケース
3)最初からパーツの欠落があるジャンク品を買った時に他の車両のパーツで充当したケース(これについては以前「光山仕様」と称してブログに書いた事があります)
何れの場合も「すべてをゼロから作る」というフリー車両のポリシーとは若干異なるスタンスで対応している事になります。
ただ、どのケースでも言える事ですが「自分のレイアウトで運用する」という前提での製作・改造ですからおのずと「使用条件に伴う縛り」があるのが特徴と言えば言えます。
以前あるサイトに掲載されていた文章で観た事があるのですが「フリー車両は車両工作で細密度を落としたいための逃げ道だ」といった様な論旨の物がありました。
個人的に感じるのですがほぼ全てが架空の風景や線路配置に寄っているレイアウトでは外見上の忠実度もある程度大事ですが、それ以上に「きちんとレイアウト上で運用できる」事にも同じ位の意を尽くす必要があると思えます。
その使用条件にきちんと合致していれば架空の設定にも基づくフリー車両でも存在する必然があり、むしろ実車をなぞった車両よりも存在感に於いてリアルであるという事も大いにあり得る事です。
(第一組みこむパーツの中のどれが必要でどれが不要かという見極めができないと本来の意味でのフリー車両は作れない気がするのですが)
それに何もかも実物準拠で作ってしまうと運転に供する場合に支障をきたすケースが多くなります。
第一そこまで拘りだしたら動力台車が殆ど首を振らないEF級の旧型電機のほぼ全ては「事実上直線かそれに限りなく近い緩曲線(最急カーブでも16番換算で半径4M近い)しか走れない」事になってしまい何のためにモータとギアを組み込んでいるのかすら分からなくなります。
この辺りの妥協点を外見の忠実度より走行寄り、運用寄りの観点に取り、そこに合致する所で手を加えるというのが私が車両改造、工作で考える立場です。
但しこの論旨はあくまでレイアウト派から見たフリー車両の捉え方であり純粋な車両工作派とはニュアンスに於いて異なる物ではあると思います。
ただ、車両工作派のフリー車両でもよく出来ている物は大概それを支える設定がきちんと出来ている事が多いとも思えますが。
それとこれはレイアウト派、運転派ならではの発想ではないかと思うのですが「自分のレイアウトに自分の思うままに作った車両が走る」あるいは「レイアウトの設定に準拠した自分だけのオリジナル車両が走る」というのはまさに「鉄道そのものをものした」という独特の快感が感じられて嬉しさもひとしおなものがあります。
世界的に見ても著名なレイアウトの殆どには大概その鉄道オリジナルの車両がいくつかあったりしてそれが魅力のひとつにもなっていますから私一人だけの感覚でもないようですし。
(まあ、私の場合、工作の腕そのものとの落差の激しさにがっくりくる事も多いのですが汗)