光山鉄道管理局・アーカイブス

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103系の引退に思うこと

2017-10-12 05:15:28 | 趣味の原点をふり返る
 先日、クラブのメンバーとLINEでやり取りしている最中のニュースで103系引退のニュースが掛かりました。

 とたんにそれまでの話題はどこへやら、放送直後から小一時間ほど参加者総出で「103系の思い出と手持ちのモデル紹介まつり」状態(笑)

 結果「クラブのメンバーの殆どが(形式や数はどうあれ)103系を持っていた」と言う事実が明らかになり、この調子だと次回の運転会は103系まつりが確定しかねない勢いです。

 いつから103系はそれほどまでのスターになったんだと書いていて思ったりしましたが、その無個性・汎用性こそがこの車両の人徳なのではないかと気付きました。
 普段は東京の空気の様にどこにでもいたのに気がついてみるといつの間にかいなくなっている、いなくなってみて初めて時代の風景の重要な構成要素だった事に気づかされる。
 103系とはそういう存在だった気がします。

 私が初めて103系に乗ったのは幼少時に東京見物に出かけた時が最初です。

 それまでに見ていた絵本のおかげで「東京には同じ形の色違いの電車が走っている」事は知っていました(当時の事で山手線は「やまてせん」表記)から乗るのを楽しみにしていたものです。
 ところが最初に乗った山手線仕様がどういうわけか走行中に「電気のこぎりみたいなノイズ」を連発。すっかりビビってしまった思い出があります。その後に乗った京浜東北線や総武線ではそんな事はなかったので「山手線の電車はおっかない」と言う妙な刷り込みができてしまいました。

 その後引退までの期間に山手線の103系には何度か乗りましたがそんなノイズは聞いていません。いったいあれはなんだったのか(謎)

 それはさておき、当時のガキだった私にとっては上記の3種に中央線を加えた「4色完全制覇」が実現した事が何よりのお土産だったりします(当時常磐線仕様はまだありませんでした)
 恐らく私の気持ちを汲んだのかうちの親が往路の中央線に対して復路では敢えて各停の総武線の方を選んで乗ってくれたのではないかとか今になって推察しますが。

 また、現住地に引っ越した時などはたまたま大雪と重なり雪まみれの103系なんてもののお世話になった事もありました。大塚で完全に電車が止まり池袋まで雪の中を歩いて行ったのも今では思い出です。

 そんな訳で103系の利用頻度はそれなりにあり馴染みもあった車両ではあります。
 ある意味私にとって103系というのは「東京」そのものの象徴でもありました。

 なのに未だにうちのラインナップには山手線の仕様だけ無かったりします。