森博嗣『大学の話をしましょうか』(中公新書)を、「大学の先生も大変だ」との高校生のひとことがきっかけで読んだ。
著者は、工学系の教員をしながら、『すべてがFになる』などの推理小説を書く。大学の給料の10倍を印税で得ているとのこと…、それだけ国立大学法人の大学教員の給料はは安いのであるが…公務員ではなくなったのに人事院勧告でまた給料の減額がなされ、大学の生き残りなどといって仕事は増える一方…。
でも、率直に大学の現状を語っているところは、正鵠を得ている-「率直に見れば王様は裸です」。
対談形式で書かれたこの本は以下のような構成
まえがきにかえて-『大学の話をしまsyほうか』について話しましょうか
第1章 「学生論」学生について話しましょう
第2章 「大学論」大学って何でしょうね
第3章 「研究者・教育者・作家」ぼくの話もするのですか?
その他
「そもそも、大学とはなにするところなのか?
小学校、中学校、高等学校、にはいずれも「校」の文字が付く。ところが、大学は大学校とはいわない。これはつまり、大学がスクールではないからだ。すなわち、「教えてもらう」あるいは「教育を受ける」場ではない、という意味である。学ぶための知己式方法を知っている。それが大学生なのだ。大学の教育とは講義室で行われる授業にあるのではな(い)…」
とはいえ、大学の住人は、奇妙なことが…
「会議・会議・会議」
「科研費」にまつわる奇妙な習慣
教授は「書類を書く人」である
「備品」に関する馬鹿みたいな話
などなど
要するに、大学の教員というのは、意味のない会議や書類などの雑事と研究と二足のわらじを強要されている人種。研究している時間があれば、事務をしなさいというのが今の現状。そもそも、研究・教育を、採算がとれる事業ではないことを承知で行う覚悟がいるのである。大学の教員に関する世の人々の勘違いはすさまじい。
「ゆとり世代」の学生をみて、ゆとりのある社会になったことを肯定的に見てみることも…必要かなと思えた。
著者は、工学系の教員をしながら、『すべてがFになる』などの推理小説を書く。大学の給料の10倍を印税で得ているとのこと…、それだけ国立大学法人の大学教員の給料はは安いのであるが…公務員ではなくなったのに人事院勧告でまた給料の減額がなされ、大学の生き残りなどといって仕事は増える一方…。
でも、率直に大学の現状を語っているところは、正鵠を得ている-「率直に見れば王様は裸です」。
対談形式で書かれたこの本は以下のような構成
まえがきにかえて-『大学の話をしまsyほうか』について話しましょうか
第1章 「学生論」学生について話しましょう
第2章 「大学論」大学って何でしょうね
第3章 「研究者・教育者・作家」ぼくの話もするのですか?
その他
「そもそも、大学とはなにするところなのか?
小学校、中学校、高等学校、にはいずれも「校」の文字が付く。ところが、大学は大学校とはいわない。これはつまり、大学がスクールではないからだ。すなわち、「教えてもらう」あるいは「教育を受ける」場ではない、という意味である。学ぶための知己式方法を知っている。それが大学生なのだ。大学の教育とは講義室で行われる授業にあるのではな(い)…」
とはいえ、大学の住人は、奇妙なことが…
「会議・会議・会議」
「科研費」にまつわる奇妙な習慣
教授は「書類を書く人」である
「備品」に関する馬鹿みたいな話
などなど
要するに、大学の教員というのは、意味のない会議や書類などの雑事と研究と二足のわらじを強要されている人種。研究している時間があれば、事務をしなさいというのが今の現状。そもそも、研究・教育を、採算がとれる事業ではないことを承知で行う覚悟がいるのである。大学の教員に関する世の人々の勘違いはすさまじい。
「ゆとり世代」の学生をみて、ゆとりのある社会になったことを肯定的に見てみることも…必要かなと思えた。