ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

田村一二 その3(経過)

2018年11月13日 17時45分10秒 | 田村一二

 ひょんなことから、田村一二の史料を前にすることになったのだが、並行してしていた仕事(療育記録映画「夜明け前の子どもたち」)の関係で、田村さんの息子さんに聞き取りなどの協力をしていただいた縁で、田村一二についての話を社会福祉法人大木会が主催する青山塾ですることになってしまった。そんな関係で、田村一二とつきあうことになったのだが・・・。

 田村一二の著作、報告、随筆、講演、その他多様な文章、絵画等の作品、ラジオ放送やテレビ出演などの音声・映像等の目録や現物・複写など、系統的に集められているわけではなかった。田村の伝記のようなものは大空社から野上芳彦がだしている。田村の経歴は、おおよそ著作に再構成されているので、その経過をたどることが出来るといわれているが、しかし、漏れているもの、埋もれているものも多いのではないかとおもっている。田村の個性にもよるが、著作にはその実践が散文的に表現されており、実践の跡づけをおこないながら、文芸批評・教育批評のような手法をとっておこなわざるを得ない。本格的な研究をしようと思うと、教育学や教育史的研究の方法論にも関わる問題が横たわっているともおもわれた。なぜ、これまで放置されてきたのか、このことについて、田村の後一麦寮の寮長を務めた吉永太一は資料の収集について反省をしているのだが、実は、この問題は、日本の教育学の研究者の無力を示すことにもなっているのではないかとも思えてくる。

 そんなことから、これまでの田村の足跡をおいつつ、史料を収集することになったわけである。