ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

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小松左京『やぶれかぶれ青春期・大阪万博奮戦記』(新潮文庫、2018年)

2018年11月24日 22時51分37秒 | 

小松左京(1931-2011)は、大阪生れのSF作家。旧制神戸一中、旧制三高(とはいえ、1年のみ)、新制京都大学文学部卒(イタリア文学専攻)。


第一部が、やぶれかぶれ青春期。生まれれから、戦中の経験から、敗戦後の旧制三高の1年間、新制大学への入試の経験を書いている。この年代の人たちの希有な経験、戦前の教育制度から戦後教育の制度改革の中で漂う青春を生きたもの(「青春の終わり」p.200-203)。高橋和巳と同じ経験をするのだが、髙橋が中国文学専攻で、小松がイタリア文学専攻の違いが、その後のあゆみの違いにもつながる象徴のような気もする。一方で、邪宗門や悲の器、我が解体となり、一方で日本アパッチ族や日本沈没などなどのSF文学。髙橋との関係については、小松の自伝に出てくるのだが、この二人の関係は特別なもの。


第二部が、大阪万博奮闘記。梅棹忠夫や加藤秀俊(この本の解説をかいている)などと「万国博」の研究をはじめ、勝手連的に理念やら考え方などを共同研究を行い、京都大学の人文科学研究所の面々も巻き込んで、単なる見本市に脱せず万博の理念や基本原則を提起していく。そのことが結果的に万博のテーマやサブテーマ、そしてテーマ館、お祭り広場や太陽の塔、その内部の展示などに関与していくことになった経過が書かれて興味深い。


ちょうど、昨日の夜中、2025年の万博が大阪で開催されるということが、決選投票の結果決まったのだが、1970年の大阪万博の時の理念やテーマの形成、知や文化の交流への力点の置き方と比して今回の理念のなさ・薄さが気になるところである。大阪の知性や文化を切り捨てて、維新だといきがって浮かれている場合ではない、この大阪万博奮闘記に目を通してみるといい。
解説には、梅棹忠夫は「たいへんな悪党」で、「万博の跡地に国立民族学博物館をつくるという構想も、梅棹さんはかなり早い段階で思い描いていた節がある」とあった。2025年の大阪万博の跡地には、「大型カジノ」がみえすいている。この違い。文化と民度の違いは憂慮すべきものがあるといわなければならない。