日出新聞に掲載された「忘れられた子等」は、その年に京都市教育部学務課から刊行された『鋏は切れる』(1941(昭和16)年)に再掲された。中扉には、「忘れられたる子等」とあるが、あとは「忘れられた子等」である。目次とともに、はじめが書かれている。次のようなものである(pp.104-124)。
「忘れられた子等」
まじなひ
脳味噌
金光さん
視学さん
悔み状
兵隊ごつこ1
兵隊ごつこ2
子守唄
狸
切手
交通信号
髭
お焼香・菓子
病気
まじなひ
脳味噌
金光さん
視学さん
悔み状
兵隊ごつこ1
兵隊ごつこ2
子守唄
狸
切手
交通信号
髭
お焼香・菓子
病気
「忘れられた子等」と云ふのは、私がこの一月末からニ月の中頃にかけて、京都の日出新聞社に絵と共に出した文である。ここには文だけ転載することにした。
これは、忙しい世の中から忘れられた彼等についての世人の認識を少しでも深めたいために書いたものである。彼等の持つ純真性を、無邪気な人間味を少しでも知つて貰ひたいのが目的である。勿論所謂大衆相手であるから、教訓めいた事はなるべく書かず、唯事実をそこへ出して、その裏にひそむ私のねらひどころを掴んで貰ふために、調子をくだいた。そのために、表面的に読めば単なる馬鹿馬鹿しい話として夕食の笑ひ話の糧になるに過ぎなくなると思ふが、心して読んでくださればいくらかの示唆はあると思ふ。
新聞のことが出たからついでに書いて置くが、大阪朝日新聞には非常にこの教育については後援して下さる。特に会社の社会事業団主事の濱田さんが甚だ理解があつて。始終吾々を後援したり激励して下さるが、ついこの間も濱田さんの肝いりで全国の中に関西精神薄弱児教育研究会の事務所を作つて下さつた。関西のこの種教育に従事する者が集まつて大いに努力しようと誓ひ合つてゐる。今後同社の後援を願うこと切である。
尚、日出新聞の東辻さんも教育に理解深く、いろいろと骨折つてくれて、新聞と教育者とが手を握つて社会人をもつともつと啓蒙しなければならなんと意気込んでゐられる。
従来の特別学級担任は余りにもおとなし過ぎた。教壇を忘れてはいけないけれども、もつと活発に社会に働きかけてもいいと思ふ。結局それらがこの教育を盛んにする側面運動であるのだ。幸ひに新聞社が理解をもつて後援し始めてくれたのだ。大いに頑張って社会に働きかけるのに絶好のチャンスである。全国三十萬の忘れられた子等の為である。
これは、忙しい世の中から忘れられた彼等についての世人の認識を少しでも深めたいために書いたものである。彼等の持つ純真性を、無邪気な人間味を少しでも知つて貰ひたいのが目的である。勿論所謂大衆相手であるから、教訓めいた事はなるべく書かず、唯事実をそこへ出して、その裏にひそむ私のねらひどころを掴んで貰ふために、調子をくだいた。そのために、表面的に読めば単なる馬鹿馬鹿しい話として夕食の笑ひ話の糧になるに過ぎなくなると思ふが、心して読んでくださればいくらかの示唆はあると思ふ。
新聞のことが出たからついでに書いて置くが、大阪朝日新聞には非常にこの教育については後援して下さる。特に会社の社会事業団主事の濱田さんが甚だ理解があつて。始終吾々を後援したり激励して下さるが、ついこの間も濱田さんの肝いりで全国の中に関西精神薄弱児教育研究会の事務所を作つて下さつた。関西のこの種教育に従事する者が集まつて大いに努力しようと誓ひ合つてゐる。今後同社の後援を願うこと切である。
尚、日出新聞の東辻さんも教育に理解深く、いろいろと骨折つてくれて、新聞と教育者とが手を握つて社会人をもつともつと啓蒙しなければならなんと意気込んでゐられる。
従来の特別学級担任は余りにもおとなし過ぎた。教壇を忘れてはいけないけれども、もつと活発に社会に働きかけてもいいと思ふ。結局それらがこの教育を盛んにする側面運動であるのだ。幸ひに新聞社が理解をもつて後援し始めてくれたのだ。大いに頑張って社会に働きかけるのに絶好のチャンスである。全国三十萬の忘れられた子等の為である。