ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

戸村逸二だと! 田村のやろう!

2018年11月30日 23時07分29秒 | 田村一二

一刻も早く・・・・。再度、日出新聞のマイクロフィルムをかり出し、リーダーでみる。昭和16年29日(日)からはじまっていた。「両刃斬撃」の枕には、執筆は「青年教員戸村逸二」とある。

「とむらいつじ」だと! 「たむらいちじ」の姓の一文字、名前の一文字をかえた筆名である。その紹介文は次のようなものだ。

固く温和しいばかりが能ぢゃない、時代の潮流は今や激しい奔流となって、表面平静かに見えた教育界にも物凄い渦を巻き起し、底に沈殿せる雑殻、老廃物を押し流して、生氣に満ちた新しい教育が国民錬成の名において確立されんとしてゐる。殊に小学校教育は国民学校に生まれ替わり教育新体制の第一歩を踏みださんとしてゐる時-初等教育界に渦巻く暖流と寒流の交流は世人の関心を高めずにはおかない。両刃斬撃文字通り教育界に容赦なき一刀を浴びせかけたのは現在市内某小学校に奉職する一青年教員戸村逸二氏である。公正な筆先は両刃の如く縦横に払はれ必ずや教育刷新途上の教育界に大きな示唆を与へるであらう。

筆名「戸村逸二」に、血が頭に上って、一本とられたという気持ちとこのやろうという気持ちが交差して、読み進めることが出来ない。もちろん、マイクロフィルムの精度の問題、旧字体の漢字、複写の問題などがあり、判読不能の文字がたくさん出てくる。それを一つ一つ吟味しながら、フリーズしがちなところを、他の人たちも巻き込みながら翻刻を進めていった。


ああ、「両刃斬撃」 田村一二のこと

2018年11月30日 21時33分07秒 | 田村一二

実は、「日出新聞」のマイクロフィルムを調べているときに、同じ時期に違う欄に同じタッチの版画と文章があったのは気になってはいた。署名はなかったし、マイクロフィルムで読みにくいこともあって、まさに「見た」ということだけで、吟味することはなかった。

ただ、その中に「代用教員」という表題のものがあったので、そこだけはプリントアウトしておいた。昭和16年の国民学校への改変にともなって、「代用教員」の名称が「助教」にかわるというものだった。糸賀一雄も代用教員の経験がある。京都帝国大学を卒業してから「代用教員」を経験した人たちのことを調べていた関係もあり、気になり、プリントアウトしたのだった。

家に帰って、大木会の青山塾での講義の準備をしようとして、再度見直そうと『ちえおくれと歩く男』を開いたところ、パラリと1枚のメモ用紙が落ちた、ひろってみてみると「両刃斬撃―忘れられた子ら」のメモだった。「両刃斬撃」は見たことも無いものと思っていたが、以前、そのメモを自分でつくっていたのだった―不覚だった、このことを知って、資料館にいっていれば、「忘れられた子等」と「両刃斬撃」の両方を探し出して、講義に反映できたのに! 「両刃斬撃」を確かめることができないで、青山塾の第一回目の講義にのぞまなければならなかった。

再度いく時間はない、もやもやしたものをかかえて、生煮えの話をしなければならないので、イーッとなってしまっていた。とにかくそれで、10月6日の青山塾の田村一二を終えたのだった。一刻も早くと思い、次の日曜日に京都府立資料館にとんでいったのだった。