ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

南郷太郎に踊らされて・・・別の南郷太郎

2018年12月02日 19時19分33秒 | 田村一二

南郷太郎をキーワードに、国会図書館の検索をしてみると、いくつかの『仔鹿と少年』の情報と『野球界』19巻6号に掲載された「關西に勃興した實業團ラグビー戰」という文章がでてきた。『仔鹿と少年』も『野球界』もデジタル化されているので、国会図書館・関西館に行けば読める。ということで、足を運んだのだった。

まずは、『野球界』の「關西に勃興した實業團ラグビー戰」をみてみた。目次には、南郷太郎の上に、「大毎」とある。大阪毎日進軍のことであろう。とすると、「大阪毎日新聞」の記者で南郷太郎を名乗っている者が書いたものかもしれないと、ふと悩む。内容を見ていると、「関西学生ラグビー戦」の話であり、田村がラグビー好きということはきいたことがないし、内容をざっと読んでみてもどうも文体も田村のものではないようだ。とはいえ、田村の著作に『バックネット』(ユニコン社、1951年)というのがあったので、「野球つながり」があるのではないかと頭をひねってみる。また、田村は、戦前の時代に、京都の日出新聞や大阪朝日新聞社会事業団などともつながりがある。後者は、知的障害児の教育の展覧会の開催などで深いつながりがあるのだが、これは大阪朝日新聞だし・・と悩む。結論として、大阪毎日関係の南郷太郎がいて、同一筆名の別人ではないかと推定した。ただ、もしもということもあるので、一応、国会図書館でプリントアウトしてもらったのだった。

『野球界』に登場した「南郷太郎は誰か」とずっとおもって調べてみるのだが・・・そうこうしているうちに、再度、国会図書館の検索をする機会があった。不覚であった・・・この『野球界』19巻6号は、1929年5月に発行されたものであり、まだ、田村は「代用教員」時代で、教員養成所に通っていた頃だった。そんなときに、このような記事を書くわけないじゃない。「南郷太郎」は、1946年に近江学園が南郷の地に設立された時に筆名としたものであるからである。「南郷太郎」の名前に踊らされた自身を恥じるのである。


『終わった人』

2018年12月02日 09時47分49秒 | 

この本のよみはじめに、この本の冒頭を紹介したが、読み終わった。定年は、さだめられた年なのだが、しかしそこでは気持ちは「成仏」していない。これまでの過去の「栄光」、再度の就職探し、居場所探し、かっこよくみせようとする姿、もう一回というチャレンジ、家庭での位置、いろんな葛藤があり、受け入れていかざるを得ない現実・・・。

63歳から66歳までの男の姿と心情が描かれている。解説には、「品格ある衰退」という言葉があったが、そうなれるかはその人の教養と環境によるのかもしれない。