ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

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「ブランゲ文庫」の中の「手をつなぐ子等」

2018年12月04日 13時34分38秒 | 田村一二

『仔鹿と少年』はもともと、”The Yearing”が原作で「イアリング」の訳本を児童読み物にしたものだった。「イアリング」と聞くと、耳飾りを音で想起するのだが、それはear-ringであり、前にも述べたが、このyearingは1年を経た動物を指す言葉、考えてみればその語は、Year(年)の動名詞である。「年を重ねていくぞ、これから大人になっていくぞ」というものだ。それはともかく、戦中から戦後直後にかけて、田村が児童読み物・児童文学へと志向したことは指摘しておく必要があるだろう。南郷太郎は、伊丹万作と新居格の後押しをうけて、伊丹十三の装丁・挿絵でこの本を世に送り出したのである。ちなみに、一碧文庫のものには、糸賀一雄への謹呈の署名があったように記憶している。

ところで、この『仔鹿と少年』を検索して出てきた「ブランゲ文庫」に関わって、もう一つの田村一二の本が収蔵されているのである。それが、『手をつなぐ子等』である。この「ブランゲ文庫」の中の『手をつなぐ子等』ついてふれるまえに、長谷川潮の『児童文学のなかの障害者』(ぶどう社、2002年)が『手をつなぐ子等』について書誌事項も含めて詳しく述べているので、そのことについて触れておきたい(第4章「最初の長編『美しい旅』と『手をつなぐ子等』」、なかでも3として『手をつなぐ子等』がpp.87-98に詳述されている)。

長谷川潮は、戦中版について、初版が1944年1月(2月)に出され、その後、日本出版界から推薦され再版される経緯を分析している。戦中版は大雅堂から出され、それが戦後においても大雅堂から継続して出されており、第7版まで版を重ね、その後、1950年に大阪教育図書の『田村一二名作選 忘れられた子等・手をつなぐ子等』として再度別の出版社から出されるという経過をたどっていた。問題は、大雅堂から発行された『手をつなぐ子等』の敗戦を境とした修正・削除のことである。

長谷川は、戦中において日本出版界の推薦文を全文あげて、『手をつなぐ子等』が「皇国民ノ一人トシテ育テ上ゲラレ」などの受け止め方を可能とする表現がこの本の中にあり、それが戦後版では削除されたり、言い換えられたりしていると、その具体を示している。そして、このような操作について、次のように指摘している。

「戦中版と戦後版をめぐるそういう田村の操作について、わたしたちはどう考えるべきなのだろうか。戦中版の軍国主義的な、あるいは天皇主義的要素は、当時において出版するためのほとんどやむを得ない修飾だたったとわたしは考えている。/むろん修飾だろうとなんだろうと、いったん表現されたことについては、作者はそれなりの責任を負わなければならない。しかし、修飾としてのそういう要素を持つ作品と、軍国主義・天皇主義の賛美それ自体を全面的に目的とした作品とを同列に扱うことも、また適切ではない。戦後版においてそれらの修飾要素の削除ないし言い換えがなされたのは、むろん原型のままでは占領軍の検閲を通過しないからではあるが、それ以上に、戦中版自体が余分な要素を付加したものであって、戦後版においてはじめて、本来の『手をつなぐ子等』が世に出たと考えてもよいであろう。」

長谷川は、戦後に本来の『手をつなぐ子等』が世に出たとさえいうのだが、生まれたての姿が、先にのべた国会図書館がメリーランド大学との共同で作業した「ブランゲ文庫」の児童書のデジタル化作業で公開されている『手をつなぐ子等』である(ただし、国会図書館に行かないと見れないが・・)。大雅堂版は、第6版と第7版の2種類がこの「ブランゲ文庫」にはあるのである。