ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

映画『ヒトラー:最後の12日』

2018年12月08日 22時42分20秒 | 映画

『ヒトラー:最後の12日』を通勤の途中で見ることが出来た。これも、ドイツ語版だった。最後に、ヒトラーの個人秘書だったユンゲの証言がいれられており、この映画全体の価値を高めている。

内容は、Wikiでは次のように述べられている。

1945年4月のベルリン市街戦を背景に、ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーの総統地下壕における最期の日々を描く。混乱の中で国防軍の軍人やSS(親衛隊)の隊員が迎える終末や、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス一家の悲劇、老若男女を問わず戦火に巻き込まれるベルリン市民の姿にも焦点が置かれている。
ヨアヒム・フェストによる同名の研究書、およびヒトラーの個人秘書官を務めたトラウドゥル・ユンゲの証言と回想録『私はヒトラーの秘書だった』が本作の土台となった。

ゲッペルスのところは「悲劇」という表現でよいか? 


映画『手をつなぐ子等』の時代設定

2018年12月08日 18時48分20秒 | 田村一二

風邪で調子が悪いのだが、新聞を読んで今日が太平洋戦争が始まった日だと知った。1941年12月8日、日本軍が真珠湾を攻撃し、その後、国民生活のすべてが戦争という一色に塗り替えられていった。

田村の3部作は、この時代に世に出された。戦中、それが伊丹万作、稲垣浩の目にとまり、その映画化が構想され、敗戦後、伊丹の死はありながらも、1948年に『手をつなぐ子等』、1949年に『忘れられた子等』が公開されていった。『手をつなぐ子等』は、はじめのキャプションで時代設定が、「昭和12年」とでてくる。昭和12年、1937年は、盧溝橋事件が起こり、日中戦争が開始された年である。日本の社会には国民精神総動員運動が開始されるという時代である。前にすこしばかり書いたように主人公のカンチャンの父親が出征することになり、転校することになる学校に母親(これが杉村春子なんだよな!)がその実情を語る場面が導入となっている。この場面のリアリティを持たせようとすると、「昭和12年」という設定は理解できる。しかし、日本の侵略戦争・軍国主義を想起させるというものとして、GHQから指摘され、検閲でチェックされ難色を示されたであろうことは、容易に推測できる。「昭和12年」をめぐって、あるいはこの導入の場面をめぐって、制作側とGHQ側とはどのような議論があったのであろうか?そんなことも気になるところである(もしかしたら、ブランゲ文庫等には脚本のチェックされたものがあるのかもしれない)。

『手をつなぐ子等』は、羽仁進監督で、1964年3月に公開されたリメイク版『手をつなぐ子ら』があるが、この時代設定は現代的なものとなっていると思われる(羽仁進監督の『手をつなぐ子ら』は残念ながら未見である)。

ちなみに、同じ稲垣浩監督の映画『忘れられた子等』の時代設定は「現代」となっていた。