今日はめでたい日であった。ムスメの就職が決まった!
美術系短大を卒業したものの正社員になれず、しばらく契約社員で働いていた。健保、厚年、雇用の最低限の社会保険はあったものの有休も残業手当も退職金も無い。
今度は正社員で、内容もやりたかった仕事のようだしまあ、とにかくよかった。メデタシ、メデタシ。
格差社会、ワーキングプア、ネットカフェ難民、特に若者のそれが問題となっている。労働者派遣業法によって手配師が法的裏づけを得て以来、派遣と請負を巧妙に組み合わせた二重ピンハネで使い捨てにされてきた若者達が、人間らしく働ける環境を求めて声を上げ始めている。
つい半年くらい前まではそうした若者達に自己責任論を根拠に「ニート」という蔑称を浴びせ、怠け者の当然の帰結のように言っていた評論家やマスコミが、いつの間にか黙り込んでしまい「ニート」も早や死語になりつつある。「ニート」論の誕生と背景については「ニートって言うな!」(2006光文社新書)のすぐれた分析がある。
ようやく希望の持てそうな職場を見つけられたムスメは幸運なのだろうか。ここ4年ほどの間に10件近く応募しては不採用とされ続け、採用されてもタバコの煙と深夜に及ぶ長時間労働の職場にも耐えながら技術を磨いて努力してきた。
封建時代には体制を維持するための厳然とした身分制度があった。今、親の年収によって学歴と階層が固定化される傾向が出始めていると、マスコミなどでも語られるようになってきている。東大生の親の年収が他大学生のそれよりも高いということで東大は学費軽減の援助策を打ち出した。もちろん塾通いもできず学費捻出に苦労しながら大変な努力をして世に出る幸運な者もいるにはいるだろうが少数だろう。そうした少数例を前提に語られてきた「勝ち組、負け組」だの「頑張ったものが報われるのは当然」といった論理の裏にある意図を考え直すべき時期にきているのではないだろうか。