WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

「ジェシー・ジェームズの暗殺」

2008年01月29日 | 映画(西部劇など)

 (アメリカでは超)有名な、南北戦争直後の無法者ジェシー・ジェームズを描いた映画である。「あのブラット・ビットが西部劇」を製作というふれ込みにひかれて観に行ってきた。
 ジェシー・ジェームズは実在の人物で、伝えられるところでは40人前後の銀行強盗団の頭で義賊であったとされており、日本で言えば「石川五右衛門」といったところだろうか。映画に描かれているように、手下がその強権的支配に慄いたかあるいは首に懸けられた賞金に目が眩んだのかは定かではないが、後に手下によって暗殺された。享年34歳であった。
 義賊伝説ができあがった背景には、南北戦争の遺恨が影響していたと思われる。もともと南軍の一員であったジェシー・ジェームズ一味は主に旧北軍地域の銀行などを襲ったため、南北戦争に敗北した旧南軍地域の人々は彼の「活躍?」で溜飲を下げ、義賊伝説が生まれるきっかけとなったのだろう。
 彼の物語は、過去にもいろいろな人物像で映画化されている。単純に粗暴なギャング団の首領であったり、これも実在の兄フランクとのコンビで南北戦争後の沈滞ムードにある南部にあって南部の英雄であったり...。

 今回観てきた「ジェシー・ジェームズの暗殺」は、原作に惚れ込んだブラット・ビットが製作者の一員となり主演もこなすという力の入れようである。ロバート・レッドフォードの再来と言われ二枚目俳優としてはすでに確固たる地位を築いているピットだが、この映画では性格俳優としての実力をも遺憾なく発揮していると思えた。
 善であれ悪であれ、どんな精神的重圧にも全く影響されない完全無欠に強いリーダーなどというのは現実世界ではありえないが、西部劇、特にマカロニウェスタンでは、そんな底は浅いが安心して見ていられる人物が多い。水戸黄門や遠山の金さんみたいなものだ。まあ、そこが娯楽作品の娯楽作品たる所以なのだが。初期のハリウッドウェスタンでは単なるガンアクション痛快活劇でもない作品、例えば名作とされるジョン・ウェインの「駅馬車」やクーパーの「真昼の決闘」などもあることはあった。前者では乗り合わせた複数のキャラクターの絡みをうまく描いていたり、後者では大衆心理を描いたりというのもあったが、所詮底は浅かった。

 しかし、この映画でピットは、強盗団の首領という、虚勢を張ってでも強くあらねばならず、取り巻く配下にも心を許せず猜疑心にさいなまれる、重圧のかかるある意味ナイーブな立場の人物の人間としてのリアルな心の内をよく表現していると思う。暗殺される場面では、むしろそれを望んでいるかのように振舞うジェシーを演じるピット。私の中では確かにジェシー・ジェームズのイメージといえばブラット・ビットのジェシー・ジェームズというふうにはなった。ブラット・ビットという俳優には、女性好みの二枚目俳優の一人くらいの意識しかなかったが、今後の作品を見てみたいという興味がわいた。
 時代背景はまさしく「ウェスタン」ではあるが、もはや単純痛快ないわゆる西部劇ではない。映画を通して表現したかったものの質は異なるが、以前紹介したイーストウッドの「許されざるもの」も西部劇であって西部劇でない、新しい西部劇を提示して見せてくれた。70年代初頭、マカロニウェスタンの衰退とともに西部劇は終わったとされている。西部劇ファンとしては、あの時代背景を利用しつつ視点を変えて現代にも通ずる人物描写、人間分析を見せてくれる新しい西部劇の登場に期待するのはしすぎであろうか。

 余談ではあるが、ジェシー・ジェームズが暗殺された前年(1881年)にはあの有名なワープ兄弟+ドク・ホリディvsクラントン一家の「OKコラルの決闘」があった。
 さらに余談ながら、ピットの二人目の奥様アンジェリーナ・ジョリー(トゥームレイダーなど。あの唇は魅力的)が2人目の子供(双子とのうわさあり2、3人目?)を妊娠中とのニュースが最近流れた。