tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

フラガール

2007-06-01 20:23:05 | cinema

茨城県北部から福島県南部にかけては、かつては日本有数の炭田「常磐炭田」が栄えていた。常磐炭田は、数社の会社により採掘がなされ大小多数の鉱山跡が存在する。この映画で出てくるぼた山は、その中の一つなのだろうか。石炭は、燃料および鉄鋼の原料として、わが国において明治以降産業の原動力として重要な役割を果たしてきた。しかし、効率がよく、安価な石油の登場で石炭は次第にその座を追われることになった。常磐炭砿(後の常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、石炭業自体も1985年に撤退している。
そんな中、常磐炭鉱の閉山対策、失職者に対する雇用先確保のため、常磐炭砿時代に厄介物とされていた地下湧水の温泉を利用した、「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」が誕生する。1965年(昭和40年)のことだ。当時、高度経済成長を遂げる日本において、海外旅行はまだ高嶺の花であり、あこがれの外国はハワイだった。テレビでは「トリスを飲んでハワイへ行こう」というCMが流行していた。その頃1ドルは360円。ハワイに行ける人はお金持ちの新婚旅行ぐらいだった。プレスリーの「ブルーハワイ」という映画が上映されたのもこの頃だ。
地域興しで各地方自治体が四苦八苦している現在の状況から見ると、「温泉リゾート」の発想はかなり安直である。しかし、当時としてはテレビなどのメディアを使った宣伝が功を奏して盛況だったようだ。これの2番煎じを狙って大失敗した夕張市の悲劇が思い起こされる。
さびれ行く炭鉱。これを背景にいくつかの映画が作られている。「フル・モンティ」もそうだし、「遠い空の向こうに」、「リトルダンサー」もそうだ。産業の廃退は、様ざまな人間ドラマを巻き込み進んでいく骨太のテーマではあるが、そこには感動を産むストーリーがいくつも見られる。この映画では、生活のためにフラ(ダンス)を始める若い女性達が主人公だ。「プロジェクトX」のように岸部一徳を主役にしたストーリーも考えられるが、少女達を主役にすることで感情移入が容易になりずっと感動的な話に仕上がっている。

この映画の中で、「デレスケ」という言葉が出てくる。「デレスケ」って、茨城でも福島でもないぼくの田舎でも使う言葉だ。小さい時分には、両親からよくこう言われた。たぶん、今、若い女性から「デレスケ・・・・・・」って面と向かって言われると、デレスケなぼくでも非常に複雑な気持ちになるだろう。「デレスケ」って簡単に言うと「デレデレしているバカかお前は!」ってことなのだが、使う状況によってニュアンスが変わるし説明は難しい。

エネルギーの依存が石油に移って以来、石炭を見たことがない子供が増えてきた。日本各地にある石炭資料館などに行くと、石炭を不思議そうに見ている子供たちが多い。当時の鋳物製の石炭ストーブ。学校や駅の待合所などでよく使われていたが、いまは見かけることはまずない。そして、炭鉱の爆発や落盤事故による多くの犠牲者。非常に危険な職場であることは、いまは本などで知ることができるのみだ。炭鉱での労働状況にはすさまじいものがある。労働のあと、坑内から出てきたときの坑夫の真っ黒けで、目だけがギョロッと光る顔を見ただけでもその仕事の過酷さが分かる。
ダンスをおぼえてこの町から脱出したいという願望を持つサナエ(徳永えり)は、キミコ(蒼井優)を誘いフラのメンバーになる。しかし、リストラにあった父親が北海道の夕張炭鉱に職を求め、サナエたち一家は常磐炭鉱の地を去っていく。映画を観ていて、一家が途中で帰ってくるのを思わず祈ってしまうが、母親のいないサナエの家庭では小さい兄弟たちもいてそれはかなわない。常磐の地でもあまりお金にめぐまれなかった彼女は、この先、つらく厳しい北海道の地で炭鉱に埋もれた生活を送るのだろうか。
「プロだったら、いつでも舞台ではヘラヘラ笑顔じゃなきゃ」 
ここで、昔のオレなら下手な脚本を止めちまえと言っていたかもしれない。安易に人を殺すなよ。炭鉱の落盤事故は悲惨だ。ただ、大事故につながる炭鉱のガス爆発や粉塵爆発でないだけましか。山に無情のサイレンが鳴り響く。家族はいつ、自分の愛する家族が事故で死ぬのかサイレンに怯えて暮らすことになる。あのサイレンを平然と聞くことができる炭鉱マンは皆無だ。だから、殺さないでと・・・・・・。
そして、時代を変えてしまう人間はいつの世でも嫌われる。追い出されて東京へ帰る電車に乗るダンスの先生マドカを、駆けつけたホームから見送る生徒達。かっこ悪いのが嫌いでマドカは見送りに答えようとしない。やがて電車は動き出し、ホームに立ち尽くすキミコはホーム越しにフラで気持ちを伝える。フラは手話と同じなんだ。ホームの反対側に行きかけたみんなが戻ってきて、集団でのフラ。まんず、デレスケな脚本だわー。涙が出てくるじゃないか、このー。
途中に挿入されるエピソードの部分が暗く救いようがなければ、それだけ明るい部分が際立って光る。映画は常磐ハワイアンセンターの開園でフィナーレを迎えるが、フラガールたちがまるで空から降りてきた妖精のようにキレイに見えた。そして、それまで、ほとんど気がつかなかったジェイク・シマブクロのウクレレがバックに流れて切ない。彼女たちの頬が光って見えたのはナンだったんだろう。泣かない約束のはず。東京では借金塗れで逃亡するしかないマドカを演じる松雪泰子が、本当に「いい女」に見えた。生徒たちの成長が彼女をまた「いい女」に変えていったのだ。おめえなんかあれだ。名前をど忘れしたが、トヨエツと結婚しろ。そして、一生、常磐に住んでフラをやってろ。お願いだ。
この映画の出演者の一部は、おそらく最初はそれほどのフラの経験がなかったはずだ。その出演者たちがフラをマスターしたということが、映画の中の素人の女の子たちがフラを練習してマスターしていくこととダブって感動を倍にする。凝った演出に頼るわけでもなく、効果音などもほとんど使わない。淡々としたストーリーがラストに向かって涙を誘っていくのだ。そして、フラ。フラダンスがフラメンコのような情熱的な踊りだとは思わなかった。見せるダンス。フラが宗教的なところから来ているいうことがよくわかった。格闘技を思わせるような激しい身の運び、ただ息を呑むばかりだった。
常磐ハワイアンセンターという温泉リゾートを知ってはいたが、船橋ヘスセンターと同様に行ってみたいところではなかった。日本は、このあと大阪万博が催され経済の発展とともに消費者の意識はテレビという巨大な影の下で踊らせられていく。だが、貧乏だったぼくの両親は常磐ハワイアンセンターへ出かけることはなかった。東京都内からはJR上野駅発の常磐線特急「スーパーひたち」に乗れば、2時間余りで常磐に着く。ひょっとしたら、格安ツアーでハワイに行くのと変わらない値段かもしれないが、行ってこようと思う。