ネットを調べると、「何故、人魚には女性しかいないのか?」という説明から、「古来からの人魚に関する多くの記録を総合すると、(1)頭や肌が白い。(2)頭に赤くて長い髪がある。(3)体は魚の形で長い。(4)九州北部、日本海沿岸で多く発見されている。等の特徴があげられ、実は人魚のの正体はリュウグウノツカイという深海魚と考えられる」という内容を記述したホームページが多い。
人魚に女性しかいないのは、沖縄などの南の海でジュゴンを人魚として捉えていたためとする説である。ジュゴンのオスには、メスと同様に脇の下に小指ほどの乳首があり、下腹部には外性器のワレメがある。すなわち、〝素人目〟にはオスのジュゴンでもメスにしか見えないらしい。だから、オス・メス関係なく海洋民族のオトコどもはジュゴンを捕まえればやっちまうって説だ。ただ、これは沖縄などの南の方での話だ。ジュゴンが出没しない地方でも伝説になるような話ではない。
つぎに、リュウグウノツカイ。人魚伝説の最も古い記録は、「日本書記」(720年)にあり、このほか、「古今著聞集」「甲子夜話」「六物新誌」などに記録があるとされる。
この中で「日本書記」に出てくる文章は
推古天皇二七年(619)四月壬寅《四》◆廿七年夏四月己亥朔壬寅。近江國言。於蒲生河有物。其形如人。
推古天皇二七年(619)七月◆秋七月。攝津國有漁父。沈罟於堀江。有物入罟。其形如兒。非魚。不知所名。
たったこれだけ・・・・・・。「推古天皇の27年(618)4月4日、近江国蒲生河に人のような形の物がいた、続けて同年7月には、摂津国の漁師の網に、子供のような、魚でも人でもない、名も知れぬ物がかかった」という記述である。似たような話が『山海経』でも出てくるが、ここで言う「人魚」とは、河に住む生き物なのだからオオサンショウウオの一種と考えるのが普通じゃないか?
鎌倉時代中期の説話集『古今著聞集』巻第二十「伊勢國別保の浦人人魚を獲て前刑部少輔忠盛に献上の事」には、人魚についてのもっと具体的な記述がある。
「伊勢国別保といふ所へ前刑部少輔忠盛朝臣下りけるに
或日大なる魚の頭は人のやうにてありながら 歯はこまかにて魚にたがわず
口さし出てて猿に似たりけり
身はよのつねの魚にてありけるを三喉ひきいだしたりけるを
二人してになひたりけるが 尾なほ土に多くひかれけり
人の近くよりければ 高くをめくこえ人のごとし
又涙をながすも 人にかわらず 驚きあざみて
二喉をば忠盛朝臣の許へもて行き 一喉をば浦人にかへしてければ
浦人皆切り食ひてけり されどもあへてことなし その味殊によかりけるとぞ
人魚といふなるはこれていのものなるにや」
これって、アザラシとか、オットセイとか、イルカとかシャチとか小型のクジラ?古文に強い方、翻訳してください。ってか、浦人はここでも人魚を喰ってるのかよ。
先の、(1)頭や肌が白い、(2)頭に赤くて長い髪がある、(3)体は魚の形で長い、の特徴は、ようやく「甲子夜話」で出てくる。(長いので原文の引用は略)
以上を総合すると、それぞれの書物で、「人魚」との遭遇を書いているが、同じ種類の人魚には遭遇していないんジャマイカ。民話とか、伝説とかそういった話は、まったく違った話がいつのまにか融合して、尾ひれがついて、手足が生えていつのまにか一人歩きするものだ。
ということで、今から1000年後の人々は、ネットに埋もれた古いブログデータを引っ張り出して言うのかもしれない。
「この時代の日本人は、めったに遭遇がかなわないゴマアザラシを捕らえて食べちゃうんだ!・・・・・・普通、食べるか?」
今回はオチがない。だからオチつかない。なんちゃって・・・・・・。
(おわり)