tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

人魚姫伝説(1)

2007-06-13 20:34:09 | プチ放浪 海沿い編

キラキラ光る波間に浮かんで、水中マスク越しに海底をのぞきこむ。黒い小魚が集団で隊列を組んだランダムウォークをしているその向こうに、砂地に同化したつもりのエイがひそんでいる。
フィンを静かにあおって、エイが体を半分潜り込ませた砂を巻き上げる。
体を現したエイは、何故見つかったのかと、あわてて胸びれを波打つように動かして逃げていく。

<お前ら、エイのあそこは人間とそっくりなんだぞ。よく見ておけよ>
関西出身の友人に言われて、ぼくは水槽のガラスに沿って水面に向かって泳ぐエイの体盤の裏側をじっくり見た。が、なにがなんだかよくわからなかった。学生の卒業旅行の頃の話。だから、だいぶ前のことだ。
先日、中島らも原作の映画「寝ずの番」を観たら、エイの話が出てきてこの話を思い出した。映画は、独特な語り口で上方落語界の人間模様をお通夜を通して描いた洒落気たっぷりの物語だ。学生時代の主人公の橋七は、なにが悲しいのか初体験の相手に海を泳ぐエイを選ぶ。エイのあそこが女性のあそこの感触に似ているかららしいのだ。漁船をチャーターして瀬戸内海へ漁にでかけ、ようやく釣り上げたアカエイとコトに及ぶ。無事に筆おろしを終えた橋七を、一部始終を見ていた船長が祝ってくれたという話だ。
中島らも(1952年4月3日 - 2004年7月26日)も、兵庫県尼崎市出身だ。一方、箱根よりも東で育ったぼくは、このエイのあそこに関する話を聞いたことがなかった。だから、このエイの話は関西を中心に定着しているのかと思いネットで調べてみたら、どうやらこの話は全国区のようだった。

こんな書き出しで、この文章は一ヶ月以上、ハードディスクに放置されたまま、まったく進まなかった。なんせ、エイで初体験! これほどの火の玉のような大ネタの後で、なにをオチとして文章を書けるというのだ。モチロン、中島らも氏がオトコとエイの話として取り上げたのなら、玉砕を承知でいっそのことタブーに果敢に挑戦して、女性とエイの組み合わせで書こうかとも考えた。しかし、書いたら最後、いつも私のブログに遊びに来てくれるジョセフィーヌがそれきり来なくなってしまうかも知れないので恐くて書けなかった。何で女性に女性の代用が必要だとその時に思ったのか今ひとつよくわからないのだが。
オチが思い付かなければ、文章をまとめる上で禁断の手を使う最後の方法がある。「エイなんて、でエイッきらいだ!」ってやるやつ。おいそこ、書く前にオチをばらさないように。
しかも、エイについて調べてみたら、その話にはまるで展開がない。日本ではエイを食べないと思っていたが、調べたら全国くまなく食べているようだ。カマボコにしてもうまいらしい。縄文時代の貝塚からも出土し、昔から食用として利用されてきたとのことだ。知らないのは私だけだった。
しからば、獣姦に話をもっていって・・・・・・。まあ、エイの場合は魚だから魚姦ということになるが。
ネットで調べてみたら、海洋民族である我々を反映して、人魚伝説(八百比丘尼(やおびくに))は全国津々浦々にあった。
「人魚を捕らえて!食べちゃったら!不老不死になって!自殺しちゃった!?」
あまりにも調べた人魚伝説が意外な展開を見せたので、文章が新聞のTV欄のようになってしまった。この伝説を知らなかったのも私だけのような気もするが。
ここでポイントは、めったに遭遇がかなわない人魚を捕らえて食べちゃうところである。・・・・・・普通、食べるか?
まあ、背に腹は変えられない。海洋民族たるもの、人魚は半分は魚なんだから、食べちゃうぐらいでオドロいちゃいけない。ところが、人魚を食べると不老不死になっちまうのである。しかも、そのオチが、「まわりの人がどんどん年老いて死んでいくのに耐えられずに自殺してしまうのである」
この民話は、得体の知れないものを食べちゃダメという教訓と、不老不死になっても結局は死んじゃうという宇宙の真理を表しておりとても奥が深い。・・・・・・というかまったく理解できない。
(続きは明日)