大韓文化遺産研究センターは、光州広域市南区良瓜洞(광주 양과동)で6世紀頃の三国時代に墳墓の上に石を敷いて覆った葺石封土墳(즙석봉토분)3基が群れをなして築造されていることが確認されたと発表した。
3基ともかなり破壊が深刻であるが、空から見下ろした平面形状は、それぞれ円形、方形、そして梯形の3つであった。
1号墳は、円形形状で封土半分程度が毀損されているが、その下に埋葬施設が残っている可能性が大きいとしている。また、葺石列を基準とすると、直径が約20mに達し、その周辺から周溝跡も確認された。
2~3号墳は封土大部分が破壊されていたが内部から破損された状態の土器類が発見された。
今回の調査で収集した土器類は107点で、壺形土器が半分近くあり、ほかに受け台、短脚高杯、杯など祭祀と関連した土器が多いという。
[参考:聨合ニュース]
3基ともかなり破壊が深刻であるが、空から見下ろした平面形状は、それぞれ円形、方形、そして梯形の3つであった。
1号墳は、円形形状で封土半分程度が毀損されているが、その下に埋葬施設が残っている可能性が大きいとしている。また、葺石列を基準とすると、直径が約20mに達し、その周辺から周溝跡も確認された。
2~3号墳は封土大部分が破壊されていたが内部から破損された状態の土器類が発見された。
今回の調査で収集した土器類は107点で、壺形土器が半分近くあり、ほかに受け台、短脚高杯、杯など祭祀と関連した土器が多いという。
[参考:聨合ニュース]