木津川市教委が6日、山城地域最大の山城とされる木津川市の鹿背山(かせやま)城跡で、尾根上の堀切(ほりきり)の遺構が見つかったと発表した。同城跡には計6カ所に堀切の遺構があるとみられているが、発掘調査で確認されたのは初めて。
鹿背山城は標高136mの山にあり、これまでに3つの主郭(城の中核となる曲輪)を持つ構造だったことが判明している。 堀切は3つの主郭のうち、一番南に位置する第3主郭の北側で見つかった。 主郭に続く尾根を分断する形で築かれ、 堀切の断面はV字型(薬研堀)で、深さ約2・5m、長さ約20mとみられている。 鹿背山城は文献などから15世紀代に奈良市・興福寺の軍事拠点として築かれ、その後、大和を治めた戦国武将、松永久秀(1510?-1577)が改修を行ったとされている。
今回の調査では、第3主郭南側で16世紀後半の土器が初めて出土し、この時期まで城が存続していたことが、考古学的に初めて確認されたとしている。
現地説明会は9日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞]
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2010.2.25 鹿背山城跡 「薬医門」跡が見つかる、興福寺時代から存在か
2009.3.26 鹿背山城跡 多聞櫓の遺構
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