漆谷郡は14日、(財)ハンビット(한빛)文化財研究院に慶北漆谷郡若木面観湖里にある観湖山城(칠곡군 관호산성)の学術調査を依頼した結果、今回の調査で地表面真下に石で作った城壁が現れ、これまで土城と呼ばれていたが、6~7世紀に築造された石城と確認されたと発表した。
観湖山城は、洛東江そばの丘にあり、全周1.8km、城壁一部を自然丘陵と絶壁を利用して作ったピーナッツ形状の城である。
ほぼ同じ時期に作られた城は京畿 華城の党頂城(唐城、화성 당항성)、忠北忠州の南山城(충주 남산성)などがあり、また、同じ特徴を持った城は忠南公州の公山城(공주 공산성)、扶余の扶蘇山城(부여 부소산성)がある。
専門家はこの城が、新羅が三国統一のために北進した時期に拠点とした治所城の役割をしたとみている。
[参考:2013.3.14 聯合ニュース]
観湖山城は、洛東江そばの丘にあり、全周1.8km、城壁一部を自然丘陵と絶壁を利用して作ったピーナッツ形状の城である。
ほぼ同じ時期に作られた城は京畿 華城の党頂城(唐城、화성 당항성)、忠北忠州の南山城(충주 남산성)などがあり、また、同じ特徴を持った城は忠南公州の公山城(공주 공산성)、扶余の扶蘇山城(부여 부소산성)がある。
専門家はこの城が、新羅が三国統一のために北進した時期に拠点とした治所城の役割をしたとみている。
[参考:2013.3.14 聯合ニュース]