南陽市教育委員会の測量調査で17日までに、南陽市長岡にある長岡南森遺跡で、東北で最大級と推定される前方後円墳「南森古墳」(仮称)が見つかったことが分かった。全長約161mで、4世紀後半ごろに築かれたとみられる。
同古墳の約120m北側には、全長96mの前方後円墳・稲荷森古墳(4世紀中~後半築造)があり、市南部地域に古墳時代前期、大和政権と深く結びついた強大な権力者が存在していた可能性がある。
前部の方形(遺跡北側)と後円部の円形(同南側)の長さの比率が約4.5対6であり、山県県や宮城県などの主な前方後円墳と共通していたことが判明した。東北地方では前方後円墳の大きさが4世紀末にピークとなる傾向があり、市教委は南森古墳が稲荷森古墳の数十年後に造られたとみている。
東北で確認されている古墳の全長の順位
(1)雷神山 168 宮城県名取市 4世紀末
(2)南森(仮称)161 南陽市長岡 4世紀後半
(3)亀ケ森 127 福島県会津坂下町 4世紀後半
(4)塚前 120 福島県いわき市 6世紀
(5)会津大塚山 114 福島県会津若松市 4世紀末
(6)遠見塚 110 仙台市 4世紀末
(7)青塚 100 宮城県大崎市 同~5世紀初め
(8)稲荷森 96 南陽市 4世紀中~後半
[参考:山形新聞、毎日新聞]
(注)玉山古墳(いわき市四倉町)が全長114~118mの前方後円墳、4世紀後半築造とされるので、東北で5番目の規模となるはずである。
過去の関連ニュース・情報
いわき市・塚前古墳
追加 2018.5.29
山形県南陽市教委が5月から発掘調査を進めている長岡南森遺跡(同市長岡)で、前方後円墳のくびれ部と想定している場所から祭祀儀礼時に使われる二重口縁壺の破片などが出土。また、古墳の周濠と周濠から続く人工的に作ったテラス部分も見つかった。同遺跡が古墳である可能性が濃厚になった。
明治期の地形図「字限図(あざきりず)」にも前方後円墳の輪郭が残されている。
さらに、古墳の可能性が高まったとしている。
[参考:産経新聞]
同古墳の約120m北側には、全長96mの前方後円墳・稲荷森古墳(4世紀中~後半築造)があり、市南部地域に古墳時代前期、大和政権と深く結びついた強大な権力者が存在していた可能性がある。
前部の方形(遺跡北側)と後円部の円形(同南側)の長さの比率が約4.5対6であり、山県県や宮城県などの主な前方後円墳と共通していたことが判明した。東北地方では前方後円墳の大きさが4世紀末にピークとなる傾向があり、市教委は南森古墳が稲荷森古墳の数十年後に造られたとみている。
東北で確認されている古墳の全長の順位
(1)雷神山 168 宮城県名取市 4世紀末
(2)南森(仮称)161 南陽市長岡 4世紀後半
(3)亀ケ森 127 福島県会津坂下町 4世紀後半
(4)塚前 120 福島県いわき市 6世紀
(5)会津大塚山 114 福島県会津若松市 4世紀末
(6)遠見塚 110 仙台市 4世紀末
(7)青塚 100 宮城県大崎市 同~5世紀初め
(8)稲荷森 96 南陽市 4世紀中~後半
[参考:山形新聞、毎日新聞]
(注)玉山古墳(いわき市四倉町)が全長114~118mの前方後円墳、4世紀後半築造とされるので、東北で5番目の規模となるはずである。
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山形県南陽市教委が5月から発掘調査を進めている長岡南森遺跡(同市長岡)で、前方後円墳のくびれ部と想定している場所から祭祀儀礼時に使われる二重口縁壺の破片などが出土。また、古墳の周濠と周濠から続く人工的に作ったテラス部分も見つかった。同遺跡が古墳である可能性が濃厚になった。
明治期の地形図「字限図(あざきりず)」にも前方後円墳の輪郭が残されている。
さらに、古墳の可能性が高まったとしている。
[参考:産経新聞]