県が発掘調査を進める旧練兵場遺跡(仙遊町、善通寺病院敷地内)で、8日午後1時半から現地説明会が開かれる。
新たに見つかった弥生時代後期の竪穴住居跡の構造から、九州地方からの移住者の存在を県内で初めて確認した。
同遺跡は、弥生時代中期から古墳時代にかけての竪穴住居跡が多数発見されている県内最大規模の集落遺跡。
同センターによると、同遺跡ではこれまで、7本程度の柱で支える円形の竪穴住居跡が見つかっていた。本年度の調査で、長方形で2本柱という九州地方で一般的な構造とよく似た竪穴住居跡を新たに発掘した。九州地方の特徴を持つ壺も出土しており、九州地方から移り住んだ人が同遺跡に住居を建て、生活していたことを示しているという。
[参考:11/8四国新聞]
同遺跡は、同市仙遊町と善通寺町にまたがる旧陸軍練兵場跡地にある、広さが約42㌶と推定される弥生時代中期―古墳時代の全国的に有数の古代の大規模集落跡。現在までに、発掘調査で出土した祭器として使用された平形銅剣などの青銅器が周辺で大量に見つかっていることから、丸亀平野で祭祀の中心的な役割を持った拠点的集落である可能性がある。
また弥生中期以降、他地域からの人口の流入により大規模な集落に発展したと考えられる。周辺の山から前方後円墳が発見されていることなどから、大集落を支配する権力者がおり、丸亀平野全体を統括する「王」の存在は確認できないが、集落の規模などから中心的な役割を担っていたらしい。
[参考:2000/10/15四国新聞]
新たに見つかった弥生時代後期の竪穴住居跡の構造から、九州地方からの移住者の存在を県内で初めて確認した。
同遺跡は、弥生時代中期から古墳時代にかけての竪穴住居跡が多数発見されている県内最大規模の集落遺跡。
同センターによると、同遺跡ではこれまで、7本程度の柱で支える円形の竪穴住居跡が見つかっていた。本年度の調査で、長方形で2本柱という九州地方で一般的な構造とよく似た竪穴住居跡を新たに発掘した。九州地方の特徴を持つ壺も出土しており、九州地方から移り住んだ人が同遺跡に住居を建て、生活していたことを示しているという。
[参考:11/8四国新聞]
同遺跡は、同市仙遊町と善通寺町にまたがる旧陸軍練兵場跡地にある、広さが約42㌶と推定される弥生時代中期―古墳時代の全国的に有数の古代の大規模集落跡。現在までに、発掘調査で出土した祭器として使用された平形銅剣などの青銅器が周辺で大量に見つかっていることから、丸亀平野で祭祀の中心的な役割を持った拠点的集落である可能性がある。
また弥生中期以降、他地域からの人口の流入により大規模な集落に発展したと考えられる。周辺の山から前方後円墳が発見されていることなどから、大集落を支配する権力者がおり、丸亀平野全体を統括する「王」の存在は確認できないが、集落の規模などから中心的な役割を担っていたらしい。
[参考:2000/10/15四国新聞]
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