歴歩

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熊本市・熊本城 櫓門(高麗門)の土台や根固め石、瓦を発見

2012年03月06日 | Weblog
 熊本県教委は5日、熊本市新町・横手地区(高麗門踏切~下馬天神踏切の約200m区間)の調査で、細川時代の熊本城の城門の土台や、加藤、細川両時代の菩提寺につながる参道などが見つかったと発表した。
 高麗門踏切そばには、慶長3(1598)年頃加藤清正が、熊本城西方からの敵を防ぐため築いた高麗門があり、細川時代に櫓門に建て替えられたという。 明治初期には解体されている。
 同踏切北側で、櫓門の土台だった土が固められた跡(3×14m)、門柱の礎石下の根固め石、細川家家紋が入った瓦や清正時代の慶長4年の瓦も見つかり、高麗門もほぼ同じ場所にあったとみられている。
 また、両踏切区間では、土層断面に時期の異なる道路面も見つかった。加藤家の重臣らの菩提寺への参道(注1)を、後の細川家が拡張整備した跡と考えられている。
[参考:熊本日日新聞]

(注1) 2011年12月09日付け熊本日日新聞で、「加藤・細川家臣団の墓 建立時のまま現存 熊本市・禅定寺」と題して、禅定寺は、16世紀に創建され、1137基ある墓のうち、489基が江戸期に建立されていると報じている。 禅定寺は、高麗門跡の西200mの距離にある。 菩提寺の一つであろう。
 
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