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海住山寺「阿弥陀浄土図」と興聖寺「兜率天曼荼羅」 両掛け軸が鎌倉時代に一対で製作

2012年03月07日 | Weblog
 奈良国立博物館(奈良市)が6日、木津川市の海住山寺(注1)が所蔵する鎌倉時代の掛け軸「阿弥陀浄土図」が、軸木の墨書から、京都市上京区の興聖寺(注2)にある重要文化財「兜率天曼荼羅(とそつてんまんだら)」と一対のものとして製作された可能性が高いと発表した。大きさはともに縦約1・8m、横約2m前後。
 興聖寺には、慶長年間(1596-1615)に海住山寺から伝わった一切経も残るため、曼荼羅も同時期に渡ったとも考えられるという。
 今年は解脱上人800年遠忌(おんき)の年に当たる。 奈良国立博物館では、特別展「解脱上人貞慶-鎌倉仏教の本流」が4月7日~5月27日から開かれ、両掛け軸も展示される。
[参考:京都新聞]

(注1) 海住山寺(かいじゅうせんじ)
真言宗智山派 補陀洛山海住山寺  (京都府木津川市加茂町)
 天平七年(735)聖武天皇が、大盧舎那仏造立の工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのが始まりという。
 保延三年(1137)に焼失し、承元二年(1208)十一月、笠置寺にいた解脱上人貞慶(1155-1213)が廃址に草庵を営なんで補陀洛山海住山寺と名づけ中興した。
当初は、法相宗であったが、近世に真言宗に転じた。

(注2) 興聖寺(こうしょうじ)
臨済宗興聖寺派本山 円通山興聖寺 (京都府京都市上京区堀川通寺之内)
 慶長8年(1603)古田織部正重然(しげなり、1544-1615)により、虚応円耳(こおうえんに、1559-1619)を開山として創建。 当時は興聖顕密自得禅寺と称し、八宗兼学の道場であったという。 現在は、臨済宗の相国寺派から分かれて興聖寺派の本山である。
 織部寺とも呼ばれる。 古田織部正重然や絵師・曾我蕭白(しょうはく、1730-1781)の墓がある。

 備考:曾我蕭白は曽我蕭白とも書かれる。


2012.4.24追記
海住山寺で貞慶800年遠忌 
 海住山寺は5月10日午後2時から、貞慶の800年御遠忌法要を行う。
 興福寺の僧だった貞慶は1193年に笠置寺(同府笠置町)に移住。1208年には海住山寺に移って寺を再興、亡くなるまで過ごした。
 当日は興福寺と、海住山寺が所属する真言宗智山派の僧侶ら計約20人が参列する。
 奈良国立博物館の特別展「解脱上人貞慶―鎌倉仏教の本流―」で展示されている「十一面観音立像」(平安時代)は奥の院の本尊で、貞慶が手元に置いていた念持仏と伝わる。 長年、「解脱上人坐像」と一緒に安置されていたという。
[参考:読売新聞]
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