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松原市・河内大塚山古墳 発掘中の陵墓参考地を考古学研究者らが見学 周濠浅かった

2008年12月10日 | Weblog
 河内大塚山古墳は大阪府の百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間にあり、平城天皇の皇子らの墓とする言い伝えなどから、大正時代に陵墓参考地になった。
 宮内庁は墳丘への「渡り堤」が周濠の水で浸食されていたため、修復工事に先立ち発掘中で、研究者側の要望に応じ調査区への立ち入りを許可した。その発掘現場を10日、考古学研究者ら15人が45分間見学した。出土品はなかったが、築造時の周濠が現在より浅かったとみられることが分かった。江戸時代に田畑の灌漑用の池として周濠を利用するため浚渫され、深くなったのではとみている。
 研究者間では、欽明天皇など6世紀後半の大王墓だったとする見方が強い。
[参考:共同通信]

河内大塚山古墳
 人工の造山だが、後円部頂上は松原市内で最も標高の高い場所という。
墳丘規模は、全長335m、前方部幅230m、後円部直径185m、前方部高さ4m、後円部高さ20m。
 規模としては全国で5番目の大きさ。横穴式石室が後円部にあるとみられる。築造時期は6世紀中葉から後半と考えられる。

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