指宿市十町の敷領遺跡で、874年3月25日との記録がある開聞岳大噴火で出来た「紫コラ」と呼ばれる火山灰地層の下から埋まった住居跡が見つかった。
長さ6m、幅4m、柱跡の穴が計10基あった。壁を盛り土で支えていたらしい。 中央に炉の跡、四隅に柱が立っていたとみられる穴がある。
同様の発見は北西に2km離れた橋牟礼川遺跡(同市十二町)=国指定史跡=に次ぎ2例目。
保存状態がよく、調査にあたったお茶の水女子大や鹿児島大関係者は、火山噴火の被害分布や当時の生活を知る上で極めて重要な遺跡になるとみている。
開聞岳からの直線距離は約12km。同じくらい離れた橋牟礼川遺跡の柱が倒壊しているのに比べ、噴出物の堆積量が少ないためか、柱などが倒壊した跡はなく、壁外側と地面のすき間を埋める盛り土も見つかった。遺跡内では須恵器なども数点出土した。
調査は両大学の火山噴火罹(り)災地生活文化環境復元研究の一環として8月25日から実施。874年の噴火当時に関しては、敷領遺跡内で2005年に水田跡、07年に畑跡が見つかるなど当時、推定で20ヘクタールに及ぶ大規模な営農がうかがえているが、日常生活の跡は未発見だった。
[参考:9/6南日本新聞、毎日新聞]
長さ6m、幅4m、柱跡の穴が計10基あった。壁を盛り土で支えていたらしい。 中央に炉の跡、四隅に柱が立っていたとみられる穴がある。
同様の発見は北西に2km離れた橋牟礼川遺跡(同市十二町)=国指定史跡=に次ぎ2例目。
保存状態がよく、調査にあたったお茶の水女子大や鹿児島大関係者は、火山噴火の被害分布や当時の生活を知る上で極めて重要な遺跡になるとみている。
開聞岳からの直線距離は約12km。同じくらい離れた橋牟礼川遺跡の柱が倒壊しているのに比べ、噴出物の堆積量が少ないためか、柱などが倒壊した跡はなく、壁外側と地面のすき間を埋める盛り土も見つかった。遺跡内では須恵器なども数点出土した。
調査は両大学の火山噴火罹(り)災地生活文化環境復元研究の一環として8月25日から実施。874年の噴火当時に関しては、敷領遺跡内で2005年に水田跡、07年に畑跡が見つかるなど当時、推定で20ヘクタールに及ぶ大規模な営農がうかがえているが、日常生活の跡は未発見だった。
[参考:9/6南日本新聞、毎日新聞]
はじめまして。カミタクと申します。
拙運営の鹿児島県の観光スポット&温泉案内HP「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「時遊館COCCOはしむれ(指宿市考古博物館),橋牟礼川遺跡訪問記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN89.HTM
から貴記事にリンクを張りましたので、その旨報告いたします。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。