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小田原市・小田原城跡八幡山遺構群 第4次調査(障子堀)遺跡見学会

2008年10月24日 | Weblog
 10月23日、現地見学会に参加してきました。
 朝5時30分に自転車で出発、阿佐ヶ谷駅で自転車を折畳んで携行、阿佐ヶ谷駅でJRに乗車、東京駅経由鴨宮駅で降車、自転車を折り開いてセットし、さあ出発です。
 最初に下堀の下堀方形居館跡を手始めに、曽我兄弟の墓であるといわれる城前寺そして曽我神社など、ほかにもいろいろ見て周りました。そして、14時30分開始の見学会に間に合わせました。
 写真は、開始10分前ごろの現地・小田原城跡八幡山・西曲輪西堀です。南から北を撮ったもの。堀幅は23m、深さは7mですが、前の調査場所の段差が3mくらいあり、それを考慮するとおそらく最大深さは10m近くになりそうと説明をされていました。最大幅4mの障子がTの字の形で作られた障子掘が確認されました。
 堀の中に、堀の一部を削る形で設けられた半円形の石で囲まれた部分は大正時代の池だそうです。何故このようなものが作られたのかは分からないそうですが、ウィキペディア(Wikipedia)に、「1914(大正3)年に小田原中学(現小田原高校)が、小田原城址であり宮内省の御料地である八幡山(現在地)へ移転」と書かれています。
 その当時は、堀は未だ埋め立てられていなかったと説明されていました。ただ、1707年の富士火山噴火(宝永噴火)で障子に掘り込まれた溝を覆うような位置まで火山灰跡が見られるそうです。
 今月26日(日)の見学会を最後に、埋め戻されて高校のグランドになってしまいます。

[10/13掲載分]
 かながわ考古学財団(横浜市南区)は23、26の両日、県立小田原高校旧校舎跡地(小田原市城山三丁目)で発見された小田原城最大級の堀「西曲輪(にしぐるわ)西堀(にしぼり)」の見学会を再度開く。(要望が多かったため。)参加費は無料。
日時:平成20年10月23日(木) 午後2:30(少雨決行)
    平成20年10月26日(日) 午後2:30(少雨決行)
場所:神奈川県小田原市城山3-26-1(県立小田原高等学校内)
[参考:神奈川新聞、(財)かながわ考古学財団]

[10/12掲載分]
 今朝の毎日新聞で、昨日11日の見学会の様子が報道されています。
 絵図面で推定されていた堀が実際に発見され、発掘調査した「かながわ考古学財団」は「城郭構造の解明に向け一歩前進した」と報道しています。
[参考:10/12毎日新聞、10/11神奈川新聞]

[10/10掲載分]
 (財)かながわ考古学財団は、明日10月11日(土)に小田原城跡八幡山遺構群において遺跡見学会を計画している。
 小田原城は中世後北条氏の居城で曲輪、堀、櫓などが多く残され、神奈川県を代表する城郭であり、国指定史跡整備が行われている。今回、県立小田原高等学校グラウンド整備工事に伴う確認調査で、小田原城の中でも八幡山(「八幡山古郭」とも呼ばれる)の「西曲輪」にあたる。これまでに、西曲輪西堀は最大幅23mという巨大な堀であったことが確認され、関東大震災の影響と考えられる地層のずれ等があるものの比較的良好に残されている。この成果から、八幡山古郭周辺の様相の解明が期待される。
 本遺構群はJR小田原駅の西方、箱根外輪山より南東に伸びる通称八幡山丘陵と呼ばれる丘陵の中腹に位置し、初期小田原城の中心域とされている。当遺構群は本曲輪(ほんぐるわ)、西曲輪、南曲輪、古宮曲輪、藤原平(ふじわらだいら)などで構成される。
 主な遺構として、第1・3次調査でも確認されていた西曲輪西堀、本曲輪北堀、そして旧校舎の北に位置する三味線堀などがある。
深さについては現在も調査中だが、3次調査の結果も含めると6m以上になると考えられる。前回までの調査では堀以外の中世の遺構は希薄であるが、弥生~古墳時代の竪穴住居や古代の掘立柱建物、近世の土坑などが見つかっている。

日 時: 平成20年10月11日(土)午前の部10:00~/午後の部14:00~ (少雨決行・荒天時は12日(日)に順延)
場 所: 小田原市城山3-26-1 (財)かながわ考古学財団 小田原城跡八幡山遺構群発掘調査現場
主 催: (財)かながわ考古学財団
[参考:(財)かながわ考古学財団]

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