奈良県立橿原考古学研究所が9日、明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、645年に乙巳の変(大化改新)を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が出会ったとされる「槻(つき)の木の広場」のすぐ西側で、飛鳥時代の東西の道路跡と推定される石敷きが見つかったと発表した。
石敷きは飛鳥寺西門跡の西約100mで、幅2・4m、長さ80cm分の石敷きを確認した。 表面が平らなこぶし大の石が敷かれ、人の頭ほどの大きさの縁石も残っていた。 さらに、約150m西には甘樫丘がそびえる。
橿考研によると、飛鳥寺南門の参道の幅は2・2mで今回見つかった石敷きの幅に近く、石敷きは蘇我蝦夷、入鹿父子の邸宅があった甘樫丘方面から槻の木の広場を横切る参道だった可能性もある。
また、その北55mでも石組み溝の底部とみられる石敷きが東西2・6m、南北80cm分、出土した。
現地説明会はないが、橿考研付属博物館(橿原市畝傍町)の速報展(2月11日~3月6日、月曜休館)で紹介される。
[参考:産経新聞、共同通信、読売新聞]
過去の関連ニュース
2010.3.18飛鳥寺西方遺跡 大化改新ゆかりの「槻の木広場」か、石敷き跡が出土
石敷きは飛鳥寺西門跡の西約100mで、幅2・4m、長さ80cm分の石敷きを確認した。 表面が平らなこぶし大の石が敷かれ、人の頭ほどの大きさの縁石も残っていた。 さらに、約150m西には甘樫丘がそびえる。
橿考研によると、飛鳥寺南門の参道の幅は2・2mで今回見つかった石敷きの幅に近く、石敷きは蘇我蝦夷、入鹿父子の邸宅があった甘樫丘方面から槻の木の広場を横切る参道だった可能性もある。
また、その北55mでも石組み溝の底部とみられる石敷きが東西2・6m、南北80cm分、出土した。
現地説明会はないが、橿考研付属博物館(橿原市畝傍町)の速報展(2月11日~3月6日、月曜休館)で紹介される。
[参考:産経新聞、共同通信、読売新聞]
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