歴歩

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三鷹市・天文台構内古墳 現地見学会

2008年09月07日 | Weblog
 7世紀に造られた上円下方墳である三鷹市天文台構内古墳の現地見学会が、昨日と今日の2日連続でしかも1日に2回実施された。昨日は800名の見学者、そして今日は昨日よりも多い見学者が現れ、1000人になるかもしれないという。
 天文台の構内は広いが、周りは住宅地であるから住民の見学者も多い。結構、母親と娘の組み合わせも見かける。
 26日に、玄室の角から7世紀後半のものとみられる須恵器などの3点の副葬品が見つかった。
 青白い色をした須恵器の壺(高さ25cm、胴直径16cm)は酒器として使われていたもので、その口の部分に赤色の供献用の土師器の杯(直径10.5cm、)2点が食い込んでいた。壺はひび割れがなく、ほぼ完全な形である。形状から、大化改新後(650~675年ごろ)に東海地方で作られたと見られ、盗掘されていない可能性が高くなったとする。
 壺は東海地方の湖西窯と説明しているが、確認すると、まだ取り出していないので確定ではないという。(注1)
 また、棺は木棺の可能性があるが、釘が見つかっていないので今のところ不明であり、ただし、石棺の可能性はないという。
 北大谷古墳(八王子市)、武蔵府中熊野神社古墳(府中市)と天文台古墳(三鷹市)は西から東へ一直線上に同じような間隔で並び、何らかの関係があると話す。

(写真)左上:第一赤道儀室(2002年国登録有形文化財に指定)横に並ぶ見学者
     左下:南東部の周溝(境界を示すものとの説明)
     右:横穴式石室

(注1)その後、三鷹市教委の担当の方から、須恵器の壺はフラスコ形長頸瓶であり、浜名湖の西岸に分布する湖西古窯跡群の産であることをご教示いただいている。

<備考>
1970年 初調査を行う。
 縦横27~28mの方墳に径18mの円墳が乗った形状の古墳。高さ2.1m(推定高さ3.7m)。
2007年 上円下方墳(国内4例目)として確認される。
 7世紀に築造。石室が3室構造である、全長6.9mの切石を用いた複式胴張り構造の横穴式石室を持つ。
 西7.5kmには、03年に発見された、国内最大の上円下方墳(1段目1辺32mの方形、2段目径16mの円形)である武蔵府中熊野神社古墳がある。
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