昨年10月に、男体山(2486m)の男体山頂祭祀遺跡で密教法具「三鈷鐃(さんこにょう)」が見つかっていたことが9日わかった。
過去に6点の三鈷鐃(いずれも国重要文化財)が出土しているが、精密な毛彫りの文様があり、保存状態も良く一級品としている。
山頂の太郎山神社周辺の南西斜面で県の治山工事中に出土し、県が遺失物として日光署に届け出た。現在は、男体山を所有する日光二荒山神社が保管している。神社は、所有権が神社に移る6月以降、国や県と協議した上で、出土品の調査に踏み切りたい考え。
出土した三鈷鐃は青銅製とみられ、長さ約20cmで先端が三つに分かれた柄と丸い鈴の部分でできている。鈴の部分に花びらとチョウの模様が彫られ、鈴子も残っており、振ると音が出る。一緒に古刀や土器破片など約50点が見つかった。
同遺跡では、大正13年(1924)と昭和34年(1959)に発掘調査が行われ、計約一万点の埋納品が出土し、銅製5個、鉄製1個の三鈷鐃が見つかっている。八世紀ごろから男体山が信仰の拠点になっていたことを裏付けられている。
[参考:下野新聞、読売新聞]
写真は、中禅寺湖湖畔から見た男体山。鳥居を通って左へ700m行くと、二荒山中宮祠がある。
備考:
日光山の開祖・勝道上人(735-817)は、補陀洛山(二荒=男体山)の頂を極めようと、32歳(767)で山に入り15年の修行を重ねた末、天応2年(782)に頂を極めたという。[参考[:輪王寺・宝のものがたり]/東京美術]
「奥宮」(すなわち男体山の山頂に鎮座)は、782年に創建された。[参考:ふたらさん/二荒山社務所]
過去に6点の三鈷鐃(いずれも国重要文化財)が出土しているが、精密な毛彫りの文様があり、保存状態も良く一級品としている。
山頂の太郎山神社周辺の南西斜面で県の治山工事中に出土し、県が遺失物として日光署に届け出た。現在は、男体山を所有する日光二荒山神社が保管している。神社は、所有権が神社に移る6月以降、国や県と協議した上で、出土品の調査に踏み切りたい考え。
出土した三鈷鐃は青銅製とみられ、長さ約20cmで先端が三つに分かれた柄と丸い鈴の部分でできている。鈴の部分に花びらとチョウの模様が彫られ、鈴子も残っており、振ると音が出る。一緒に古刀や土器破片など約50点が見つかった。
同遺跡では、大正13年(1924)と昭和34年(1959)に発掘調査が行われ、計約一万点の埋納品が出土し、銅製5個、鉄製1個の三鈷鐃が見つかっている。八世紀ごろから男体山が信仰の拠点になっていたことを裏付けられている。
[参考:下野新聞、読売新聞]
写真は、中禅寺湖湖畔から見た男体山。鳥居を通って左へ700m行くと、二荒山中宮祠がある。
備考:
日光山の開祖・勝道上人(735-817)は、補陀洛山(二荒=男体山)の頂を極めようと、32歳(767)で山に入り15年の修行を重ねた末、天応2年(782)に頂を極めたという。[参考[:輪王寺・宝のものがたり]/東京美術]
「奥宮」(すなわち男体山の山頂に鎮座)は、782年に創建された。[参考:ふたらさん/二荒山社務所]
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