歴歩

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横手市・大鳥井柵(大鳥井山遺跡) 11世紀後半に最盛期を迎えた山城が明らかに

2010年03月03日 | Weblog
 大鳥井柵(大鳥井山遺跡)が、11世紀後半に最盛期を迎えた山城であることが昨年秋に横手市教委がまとめた調査報告書により明らかになった。後三年合戦(1083~87年)で源義家と戦った現地の豪族・清原氏の拠点とみられる。武士が築く山城の出現は14世紀、南北朝期ごろとされてきた定説を200年以上も遡る。
 国の史跡指定を受けようと横手市教委は昨年まで3年にわたり再調査を実施した。
 大鳥井山遺跡は、横手市の市街地の北部、雄物川の支流の横手川と吉沢川の合流点に位置し川からの高さは20mほどの、かつては大鳥井山と呼ばれていた大鳥山(標高約70m)と、その北の小吉山(標高約75m)と台拠館と称される3つの小独立丘陵上の合わせて南北680m、東西200mに及ぶ。川に面していない3方向を土塁と堀で囲んだ構造と判明。堀は二重にめぐり、最大のものは幅10m、深さ3mもある。大型の建物跡も確認されている。
 東側の斜面に見える3本の竪堀を土でつくる城の「うね状空堀群」と分析。
 過去に多量のかわらけなど、土器なども多数出土していながら、時期が特定できなかったが、北東北では平泉(岩手県)などで古代遺跡の調査が進み、土器の編年が整備され、その結果、10世紀後半に築造が始まり、土塁や堀が完成したのは11世紀後半と特定できた。
 後世の戦国時代などに城として使われたことのないことも確認された。
[参考:朝日新聞、横手市→文化財保護課HP]

写真は、大鳥山の北(左側)と小吉山の南(右側)部分に当たる。

備考
 大鳥井山遺跡の大鳥山南側に大鳥井山神社があります。神社のそばに説明板が立っています。

過去のニュース・情報
 2008.7.11 後三年合戦関連遺跡発掘調査 現地説明会の予定



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