茨城県古河市教育委員会は9日、昨年10月から進めている奈良・平安時代の製鉄遺跡として知られている川戸台遺跡(同市牧野地)の発掘調査を遺跡の一部に当たる幅7m、長さ80mで実施し、9世紀初め~10世紀の平安時代、約100年にわたって鍋などが生産されていた東日本最大級の「製鉄所」と判明したと発表した。
今回の調査区域から廃棄された大量の鋳型片などが発見された。その形状と厚い堆積層(約80cm)から極めて大規模な「製鉄所」跡であると推測されるという。鋳型片のほか、鉄滓など5・5トンを掘り出したが、さらに大量の鉄滓が残されているとみられる。また、鉄滓が残されていた鋳鉄作業所は何層にもわたる整地跡が残っており、鋳型の材料となる粘土を採掘した跡も二カ所発掘されていることなどから、長い期間にわたって全国的にも珍しい大規模な古代製鉄遺跡とみている。
武器類が出ておらず、鍋などの製造に特化されていたとみられる。出土した鋳型の破片は、蝦夷制圧のために編成した軍団が使用していた鉄鍋の特徴と一致。9世紀頃の寺院や役所で使われていた鉄製三足鍋、香炉などの鋳型も発見され、秋田市の秋田城や宮城県多賀城市の多賀城、多摩ニュータウン(東京都)、神奈川県平塚市などから出土した鉄鍋などとも特徴が一致した。
長期間製鉄が続けられたことについて、良質な砂鉄と鋳型に使う川砂が容易に採取できたことと、隣接する渡良瀬川を舟運として利用したとみている。
9世紀頃の大規模な製鉄遺跡は福島県南相馬市などでも発見されているが、それよりも大きい規模で、蝦夷制圧を支えた重要な製鉄基地だったと考えられている。
同課は13日(土)、現地説明会を開く。(川戸台遺跡[牧野地・クリーンセンター東側)
午前10時半、午後3時半の2回。(雨天の場合14日に延期)
[参考:産経新聞、東京新聞、読売新聞、古河市HP]
今回の調査区域から廃棄された大量の鋳型片などが発見された。その形状と厚い堆積層(約80cm)から極めて大規模な「製鉄所」跡であると推測されるという。鋳型片のほか、鉄滓など5・5トンを掘り出したが、さらに大量の鉄滓が残されているとみられる。また、鉄滓が残されていた鋳鉄作業所は何層にもわたる整地跡が残っており、鋳型の材料となる粘土を採掘した跡も二カ所発掘されていることなどから、長い期間にわたって全国的にも珍しい大規模な古代製鉄遺跡とみている。
武器類が出ておらず、鍋などの製造に特化されていたとみられる。出土した鋳型の破片は、蝦夷制圧のために編成した軍団が使用していた鉄鍋の特徴と一致。9世紀頃の寺院や役所で使われていた鉄製三足鍋、香炉などの鋳型も発見され、秋田市の秋田城や宮城県多賀城市の多賀城、多摩ニュータウン(東京都)、神奈川県平塚市などから出土した鉄鍋などとも特徴が一致した。
長期間製鉄が続けられたことについて、良質な砂鉄と鋳型に使う川砂が容易に採取できたことと、隣接する渡良瀬川を舟運として利用したとみている。
9世紀頃の大規模な製鉄遺跡は福島県南相馬市などでも発見されているが、それよりも大きい規模で、蝦夷制圧を支えた重要な製鉄基地だったと考えられている。
同課は13日(土)、現地説明会を開く。(川戸台遺跡[牧野地・クリーンセンター東側)
午前10時半、午後3時半の2回。(雨天の場合14日に延期)
[参考:産経新聞、東京新聞、読売新聞、古河市HP]
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