国立中原文化財研究所は忠州可金面塔坪里遺跡(충주 탑평리유적)を発掘調査した結果、遺跡中央の南北を貫く幅5.3m、深さ1mの溝施設を確認し、その周辺には、長壁にオンドルを備えた新羅時代竪穴住居跡を大量に確認したと9日明らかにした。
新羅時代に重要地方拠点都市5ヶ所に設置した「小さい都」のうち、今の忠北忠州に置いた「国原小京(국원소경)」が姿を表わし始めた。
溝施設は、昨年に一部が確認された時は回廊式建物跡と発表されたが、精調査結果、古大都市中心部を貫いた巨大な水路施設とわかった。 これまで確認された長さだけでも600mを越えるこの溝(水路)は、当時の都市計画により、都市を画する役割も果たしたとみられる。
特に、今回の発掘では製鉄と関連した焼土、鉄滓や、鉄器製作のための鉄塊、鋏、槌のような道具などが出土して製鉄生産と密接な関連があった場所とみられるという。
[参考:聨合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
2010.10.20 忠州市・塔坪里遺跡 新羅時代地層から大型建物跡、百済時代地層から「呂」字形竪穴住居跡を確認
2010.6.17 忠州楼岩里古墳群 6世紀新羅土器が出土
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特に、今回の発掘では製鉄と関連した焼土、鉄滓や、鉄器製作のための鉄塊、鋏、槌のような道具などが出土して製鉄生産と密接な関連があった場所とみられるという。
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