歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

和歌山県すさみ町・立野遺跡 大量の木製品が出土 周辺地に供給の可能性も

2011年02月05日 | Weblog
 和歌山県文化財センターは3日、すさみ町周参見の立野遺跡(たちのいせき)の発掘調査で、弥生時代前期(紀元前3世紀頃)の河川跡から、伐採された木材や鍬などの農耕具、皿状の容器、舟形の器、琴などの木製品、県内最古級の弥生土器、石器などが発見された。加工に使ったとみられる小型の石斧も出土した。
 木材は川の水面に貯木されていたとみられ、近くに大規模な木製品製作現場があった可能性が高いという。 木製容器の出土数は付近の集落だけで消費するには多すぎ、近くに良港があることなどからも船を使って周辺に供給していた可能性がある。
 弥生土器は、堅田遺跡(御坊市)で発見された県内最古の約2300年前のものとほぼ同時期とみられる。
 現地説明会は5日午後1時から行われた。
[参考:紀伊日報、読売新聞、毎日新聞、産経新聞]
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加須市・長竹遺跡 2月5日遺跡見学会

2011年02月04日 | Weblog
 埼玉県埋蔵文化財調査事業団が発掘調査している利根川旧堤下の長竹遺跡では、これまでに、縄文時代や奈良・平安時代のムラの跡、中世・近世の溝跡や井戸跡が見つかっている。縄文の遺跡からは土偶や耳飾りなどが出土するなど、まだ遺跡の一部でしか調査が進んでいないが、多くの出土物が見つかっている。
 また、数千年前の起伏に富んだ地形が地盤の沈降や利根川の氾濫で平坦となり、さらに堤防が築かれるなど大きく変化したことがわかってきている。
 遺跡見学会が5日(土) 午前の部は10時30分~12時、午後の部は1時30分~3時に開かれる。
[参考:産経新聞、埼玉県埋蔵文化財調査事業団HP]

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奈良市・新薬師寺 金堂の礎石片が出土

2011年02月04日 | Weblog
 奈良教育大(奈良市高畑町)構内にある新薬師寺・金堂跡(8世紀中頃、東西59m、南北27m)近くで、金堂の礎石の一部(花崗岩製、縦30cm、横20cm、高さ10cm)が出土したことがわかった。礎石が見つかるのは初めてで、直径60cmの柱が載っていたと推定している。
 出土した礎石片は、金堂跡の南約10mで、灯明皿など13世紀の遺物を廃棄した穴(直径約2・5m)の中にあった。
 礎石片は2月28日まで、同大学教育資料館で展示されている。
[参考:朝日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 新薬師寺
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京都府精華町・椋ノ木遺跡 古墳時代中期の円墳4基を確認

2011年02月03日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは2日、精華町下狛の椋ノ木遺跡(むくのきいせき)で、古墳時代後期の円墳4基が見つかったと発表した。
 円墳は直径約12~18mと中規模で、現在の木津川堤防から約50m西側に南北約70mの間に並んでいた。 いずれも墳丘部は削られ、周囲を巡る溝跡が確認された。 円墳は木津川の氾濫に備え、自然にできた当時の堤防上にあったとみている。
 円墳上部の地層からは、木津川の舟運に関連する遺構とみられる平安~鎌倉時代の掘立柱式の建物跡2棟や条里制の溝跡、井戸・土坑なども見つかった。また、下部の地層からは、弥生時代の土坑・溝などを検出した
 現地説明会は5日午前10時半から開かれる。
[参考:京都新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センター]

関連ニュース・情報
 2010.9.7 彦根市・丁田遺跡 縄文中期の翡翠大珠が滋賀県内初出土

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芦屋市・若宮古墳 470年後に築造の前方後円墳の周濠とみれれる一部を発見

2011年02月03日 | Weblog
 芦屋市教育委員会は、昨年10~11月に同市若宮町の住宅地で、宅地造成などに伴う発掘調査で古墳時代中期(470年前後)に造られたとみられる古墳を取り囲む周濠の一部を発見した。北数百mほどの距離にある前方後円墳・金津山古墳(全長55m、460年頃)や打出小槌古墳(うちでこづちこふん、全長75m、490年頃)と同時期のものとみられ、少なくとも3代にわたり、有力豪族が芦屋で権力を継承した可能性が高くなったとしている。
 近くで出土した馬や家の形などの形象埴輪の破片約500点や、壺などの須恵器から築造時期を推定するとともに、2基との関連性から、濠のそばに同様の前方後円墳が存在するとみられ「若宮古墳」と名付けた。
 一方、発掘調査では、法隆寺で使われた瓦と類似した文様を持つ瓦の一部も発見した。 同様の瓦は県内最古級の寺院とみられる「芦屋廃寺」(同市西山町周辺)でも出土しているという。
[参考:神戸新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース
 2010.8.30打出小槌古墳 二重周濠を発見
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阿南市・深瀬遺跡 縄文時代前期~晩期にかけて層状に堆積した遺構と多数の遺物が出土

2011年02月03日 | Weblog
 徳島県埋蔵文化財センターが2日、那賀川左岸の段丘上にある縄文~鎌倉時代の複合遺跡である深瀬遺跡(阿南市深瀬町)で、縄文時代前期~晩期にかけて層状に堆積した遺構が出土したと発表した。
 縄文時代前期(約7000年前~)の層からは「大歳山(おおとしやま)式土器」、その上の中期(約5500~約4500年前)の層からは「鷹(たか)島式土器」、それより上の後期(約4500~3300年前)の層からは、「宮瀧(たき)式土器」が出土した。 さらに上の晩期(約3300~2800年前)の層からは、縄文時代の装身具である直径1cmほどの石製の丸玉一つが見つかった。
 後期~晩期の層では漁に使うオモリ、ドングリやクルミを割るための「たたき石」も見つかった。
 これらを含め、サヌカイト製(讃岐岩)、地元産のチャート製の打製石鏃など縄文時代の遺物だけで4000点の土器や石器が見つかった。
 現地説明会が5日午前10時から開かれる。
[参考:読売新聞、徳島県埋蔵文化財センター]

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明日香村・飛鳥京跡苑池 北池の護岸が確認され規模が判明

2011年02月02日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が2日、飛鳥時代の本格的な庭園跡、明日香村の飛鳥京跡苑池(7世紀後半)にある南北2つの池のうち、北池の北東角にあたる護岸が出土したと発表した。
 出土した護岸は、北岸が5.3m、東岸が9.6mで、20~30cm大の石を高さ約1mに積み上げていた。東側は階段状になっていたとみられ、一部は崩れていた。今回出土した護岸は直線的で、扇状の南池の形とは対照的。
 調査地の南西部では、50cm大の平らな底石5個が並んで見つかった。底全体に敷かれていたらしい。
 北池は南北46~54m、東西33~36mの方形の池であることが判明した。 日本書紀・天武天皇十四年(685)十一月戊申(6日)の条に、「幸白錦後苑(しらにしのみその)」と書かれ、天武天皇(在位673~686年)が幸(いでま)したという庭園の全容解明に近づく成果となる。
[参考:読売新聞、共同通信、奈良新聞]

過去の関連ニュース
 2010.12.20 飛鳥京跡苑池 池巡る石組みの溝が見つかる
 2009.7.16 ・飛鳥京跡苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土
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世田谷区・宇奈根考古資料室 「喜多見中通遺跡出土の馬具が語る畿内王権の東国戦略」展が開催中

2011年02月02日 | Weblog
 2月1日より、東京都世田谷区の宇奈根考古資料室(東京都世田谷区宇奈根1-8-21)で「喜多見中通遺跡出土の馬具が語る畿内王権の東国戦略」展が開催されている。(2月28日まで、11日は休館日)
 平成12年に、喜多見中通遺跡(世田谷区喜多見七丁目)から出土した関東最古(5世紀中頃)の鉄製の馬具(百済製の轡、遊環、立聞)や、宮之原遺跡33号住居跡から出土した須恵器などが展示されている。
[参考:産経新聞、世田谷区HP]
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奈良市・薬師寺 奈良時代の大般若経の写経「永恩経」47巻が見つかる

2011年02月01日 | Weblog
 奈良市の薬師寺が1日、1982年12月まで法要で普通に使っていた「大般若経」のうち47巻が奈良時代の写経と分かったと発表した。
 鎌倉時代の興福寺の僧永恩(えいおん)が、奈良―平安時代初期の数種類の大般若経の写経をひとまとめにした「永恩経」と呼ばれる経典の一部。これまで約40巻しか知られていない。京都国立博物館は今回見つかったものとは別の永恩経2巻を所蔵しており、重要文化財に指定されている。
 2007年以降、所蔵品を順次調査している寺の宝物管理研究所が保管していた巻物を調べたところ、約450巻のほとんどは江戸時代の版木による印刷物だったが、47巻は文字の筆跡や紙質、末尾に記された奥書などから、奈良時代に作成され、鎌倉時代の13世紀に興福寺の僧だった永恩(1167年~没年不詳)が句の切り目に朱色の点で印を付けた「永恩経」だと判明したという。 当初は巻物だったとみられるが、縦25・6cm、横9・3cmの折り本の形に改装されていた。 江戸時代に作成された厚紙の表紙が付けられており、このころに改装したとみられる。
 薬師寺では毎月8日、折り本状にした大般若経を蛇腹のように開いたり閉じたりしながら猛スピードで読み上げたことにする「大般若経転読法要」を行い、47巻は1982年まで使用していたが、その後、同寺境内の西僧坊に保管されたままになっていた。 83年1月以降は新たな全600巻と交換した。
 26日から薬師寺東京別院(東京都品川区)で開かれる「薬師寺の文化財保護展」で初公開される。
[参考:時事通信、共同通信、産経新聞]

法要使用のお経は奈良時代の作=47巻が「永恩経」―奈良・薬師寺(時事通信) - goo ニュース
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