試験を受ける機会をときどき持つのも
悪いものではないと
つくづく感じるときがあります
一番根元の大事なところを 改めて気付かせてくれたり
とんでもない間違いを平気で続けていたことを知らせてくれ
たり
ちがう考え方の合理性にうなづかせられたり
注意力・理解力の減退を点数という非情な現実で
納得させられたり
その他もろもろ
要するに 資格を取るとかということに付随する利点が
ケッコウあるように思えるからです
今回の ある認定試験では
漢字の誤った使い方までをも 厳しく気付かせてくれました
いかに曖昧に記憶していたか
恥ずかしいかぎり
というわけで 楷書の大切さにも気付かされましたが
一番の収穫は 当然理解していたはずの根本部分の
再認識に役立ったこと
介護保険は 2000年4月から 新しい成年後見制度
と時を同じくして実施された
ここのところの 意味
これの理解を曖昧にしていたその結果 波及する諸問題の
解決方法を考えるときの姿勢に一貫性がなかった
ということを 改めて知りました
つまり
介護保険制度は 利用者自身に契約させ サービスを
選択させる仕組みになった(公費による行政機関の措置
からの転換)
とすると 介護契約締結能力を要求することになる
ところが それを自力では遂行できない方がいるので
締結を代行か支援するなどを担当するものが必要になった
ここで 登場するのが 新成年後見制度
このあたりのところを理解していたようで 曖昧にしていた
点があり
試験を受けるための準備をしていて愕然としたのでした
お恥ずかしいかぎり まったくのところ
こんな具合で よくも まあ 講師認定に挑戦するなんて
細部の法規なんぞに気をとられすぎ とんでもない勘違いを
しでかしていました
細かく細かく念入りにしても ポイントはずしては意味なし
というわけで 最近は 意識して
基本書の総論部 つまり 最初のほうの部分に戻りながら
原論部分らしきところに注意を繰り返ししながら 読み進める
ようにしています
今日も そうでした
『会社という仕組みは なぜ必要なのか
本来 なければならぬものなのか』
エッと 立ち止まらずにいられぬ状況になり
さっそく 原論・総論部をめくり返し
必死に自説を考えてみました
でも 許認可関係の新顔の学習も
並行して続けています
民事法務だけ
許認可申請だけ
とはいかない時代ですから
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