歴史の教えることの一つに
より多く情報を与えることと
できるだけ 情報を避け 神秘性を利用することの使い分け
の妙
ということがあります
人間 知らぬこと見えぬことには信頼がおけぬ
無視しよう
という反面
知り得ぬこと見えぬことには 神秘性を感じ むやみに反抗
することは避けよう
という行動をとることも あります
歴史上の為政者は このあたりを上手く使い分けてきた
戦前のわが国の天皇制など 神秘性による崇拝感情を
政治に利用した例
よきにつけ悪しきにつけ
(判断は個々人マチマチ)
法服をつけ 一段高いところに座する裁判官は
そのような雰囲気を神秘性の欠片にし
威厳をより保持しよう
と 比較的 法廷外には登場しなかったが
本日の新聞紙上には 担当裁判官個人の主な裁判の経歴
法廷写真の他に 個人の容貌までハッキリ判別できる形で
別枠で掲載され
ン 変わってきたなと感じたのでした
今後は このような報道が増えていくのでしょうか
裁判官個人の法的主観も注目され
それとともに 主として裁判長の容貌も明確に公表され
よりガラス張りの裁判所を目指す
ということなのでしょうか?
とにかく 変化を感じます
この流れに対しコメントは控えますが
以前弁護士事務所に勤めていた時期の法廷のイメージが
強く残る者からすると 大変化の近年の裁判制度
集中証拠調べ
先進機器の導入
被害者側の参加
裁判員制度
司法改革
・・・・
『しかるべく』 然る可く
裁判官にたいする 弁護士・検察官の この
独特の対応言葉を思い出します
“仰せのとおり 相違ございません”という感じ
この言葉は 今でも 使われているのでしょうか?
最近は傍聴に行かないので・・・
妙な神秘性を盾に批判に耳を貸さないのも心配ですが
変に極端なガラス張りで さらけ出しすぎて
収拾が取れないような体制でも問題ですし
裁判制度にも関心は持たねばとは
考えていますが
それにしても 裁判員制度は 未だにその意図を
掴みきれません
今事務所は 19度
ストーブ無しでも
北国の方には申し訳ないような陽気
今年こそ 桜吹雪をタクサン眺めようと
楽しみにしてます