私もけっこうな年齢になったので? いざという時の為の
主に子供たちへの申し送り のようなものを
一応 用意してあります
新年早々なんですが
お許しを頂き 記してみますと
自分の人生についての 雑感
私ども夫婦の 人生の閉じ方にあたっての希望
(蓄財の才がマッタク無い私なので その方面の処理は いたってシンプル ですが)
等などについてのメモ書き
折に触れ 書き直しもしたりします
特に 葬儀関係のことは やや詳細にお願い事項も含め
子供たちに向け 記してあります
いわゆる 密葬・家族葬について
硬いことを言うと 定義自体が曖昧なところがあるので
なんとも言えないところがあるのですが
少々 ある部分で勘違いをなさっているようなので? 記してみます
昨年12月に 母を亡くしまして 母と我々3人兄弟の故郷である
福島県のいわき市で
野辺の送り 納骨を
済ませさせていただいたのですが
その形の選択(名目を問わず 一切の御心づけはご辞退させていただきながら)は 故人の遺志 と 私の思いからの決定でした
(弟たちには それなりの思いがあったと察せられましたが
断行させてもらいました)
ときに
“・・・そうですか こじんまりと 簡素に それもひとつのありかた 費用のこともあり その選択も有用でしょうね”
という声も
しかし 費用のことを基準に考えると 密葬・家族葬 という形で
の当家・いわゆる喪主側の負担は そうとうなものになり得ます
つまり 香典などは 一切無い前提のとりおこないですので・・
たしかに 会葬者も無く 花輪も無く なんともひっそりで さみしそうにはみえるでしょうが 母と共に 最後に 故郷での4日間 同じ部屋で過ごすことができました
規模が小さいほど 経済的には少額で 執り行う側は助かる という発想は 一応 検討を要するところです
会葬者さんは通常無く 御こころづけをご辞退させていただく形が多いでしょうから
弔いと お金のことを 同一位置で議論する不謹慎さを承知で
記してしまいました もうしわけありません
さて
できる限り 母の眠る福島県いわき市に通うことを思いながら 今年も 日々 努めたいと思っている次第です
一周忌という 通常想定されている形にこだわらず
約一年後に 私の兄弟家族集い 楽器などを持ちより
【チャップリンのsmile】 あたりを ギターの弾き語りで といったような母への供養も一興と 会合を約束している次第です
先日の マンションセミナ・相談会も盛会のうちに終えることができ
講師を担当させていただいた私自身も おおいに学習させてもらい 感謝 感謝であります