おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

突然で スミマセン

2013-08-08 | ■ サマザマな おはなし


本日のブログは やや どころじゃなく 大幅にJUMP?
している内容なので ご注意を?
率直に言って 人間の性 の不思議さに関することなので
その方面に嫌悪感というか できる限り関心を持ちたくない
という方は 読まずにお願い申し上げます




今 漱石先生の 行人 を読み直しているのですが
前半部 自分と 兄と 兄の嫁 との関係あたりの記述のなかに

≪・・・自分は女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。
  女の肉に満足する人を見ても羨ましい。・・・≫

という一節が登場します





30歳代頃? ある小説を読んでいて 人間の性的な欲望に関わる言葉として(私は そのように理解したのですが) 「・・肉欲・・・」 という言葉が登場して 思わず 気になって 何度もそのページを 捲り直した記憶があります
なんと 率直に 性の不気味さ とでもいうところを 
でも ある意味インパクトのある言葉での表現なんだろう
と 感じたのでした

ところが 明治の文豪 漱石先生の文章にも それに類する言葉を見て 以前から思っていたことに あらためて賛同したのでした

武家社会までの日本はともかく
明治期になると 現代人が思う以上に 日本人は≪人間の性≫について 単に扱い難き 忌み嫌うもので汚らわしいもの 人をどちらかというとおとしめるもの と単眼的にではなく むしろ 率直に向き合って より大人だった? というような感想
徒に 引き回されて かたくなに 避けるようなことではなく
必要以上に忌み嫌う意味で 妙にかしこまるわけでなく むしろ奥深い本質をじっと見つめ むしろ ある意味 おおらかに(ふしだらにということではなく)付き合っていた 
そんなふうに思うのです
もっと 簡裁に言ってしまうと

≪粋に 付き合っていた≫
という印象


鴎外先生なんかも いわゆる硬い文章という意味合いの中で
けっこう さばけた感じで? 性を あつかっている感じもあるし・・

現代人よりも そういう意味で 性を独特な雰囲気で丸みながらいざというときは なんとかかんとか工夫しながら付き添っていながらまとめているようで 包みこみかた 見極め方がなんとも潔いような つまり付き合い方が大人で 粋なような感じがして



連日のようにマスコミをにぎわす いい年齢の それもなぜにという位置の人間たちの犯罪にまでいってしまう所作
若人の 無知すぎるともいえる 性との触れ合いを思うとき
今日のようなブログになってしまったのでした




さて 超個人的な ある意味 超マニアック?とも言えそうな話題は このあたりで 幕にして
お仕事 お仕事




それにしても
薄暗くなってから アブラゼミが鳴きだしたり
時期を少々勘違いしているように ヒグラシが それに付き合っていたり ミンミンゼミは 二三日前 一度だけ?だったり
アブラゼミって 昼 陽光ギラギラのなかで 鳴くものだと思うんだけど? すくなくとも 薄暗くなってから やおら鳴きだす
というのは ン? という感じ

やはり 変な感じだ

それと あおすじアゲハには全然会えてない
あの素敵な ブルーに 出会いたいなー
今までは 我が家の裏庭なんかででも 会えたんだけど
オスの シオカラ・ オオシオカラトンボの 青白色っぽいのにも会いたいな

というところで 今日もまた 陽光さかんな時間を避けて?今一七時 アブラゼミ 活動開始しているぞ 
短い命だ ガンバレー 精一杯 鳴いてね



 


      

 

    

      

 
   


相互理解

2013-08-08 | ■ サマザマな おはなし


夕方 今年一番の ヒグラシを聴く
子供の頃の記憶の中のその声は おおよそ晩夏に聴いたものだったが?

これも 気候の変化によるものなのか?




さすがに 暑い というより 蒸し暑さが続き
少々 疲労が
などと言っていては もっともっと高温多湿の地方にお住みの方には笑われそうですが・・・
大好きな夏ですが ボディブローをくらっているようにジンワリ
体力消耗?かな 
でも もちろん 負けてなんぞいられない


それにしても 梅雨の残りがまだまだあるように
毎日のように 雨タイムがある
梅雨本番の時の 当地方の雨不足を補うかのように
短時間降るような感じ


皆さんのところは いかがですか
日本列島各地で 大雨の被害が続いているようで 心配は尽きませんが・・・






さて 私の年齢になると 集まりが増え
同窓会 学級会 学年会 等々
それも 中学校 その上のとき などのが集中して秋口に
ということで 日程が心配
できる限り 多くの友の顔も見たいし
幹事を担当している集まりもあって それは欠席できぬし
ほのかに心に秘めていたマドンナさんたち?と50年ぶりの再会を期待できるところもあるし・・・
ほとんど 男ばかりの集いでも 悪友たちの悪友ぶりを確認の晩餐会
それはそれで 楽しみだし・・・

そんなときに ケッコウな率で話題に出るのが 
学校生活を絡めて
第一の故郷
第二の故郷 そうして 地域性 県民性 の類の話題

“関西は いろいろあって なかなかネー”だとか
“まだまだ 〇〇県なんぞ 気性の点では おだやかなほう
△△県で暮らしていたときは 太れなかったなー”
といった類い


わたしも 当地に来て ほぼ30年になるが
いまだに どうにも理解できない点があったり・・・

私の第二の故郷 北の地のおおらかさ というか 開放的な思考方法を思うと いまだに懐かしい
なんといっても せいぜい二代目 三代目という集合体なので
それほどの決定的な価値観で固まっているわけでもないし
閥が出来上がっているようなわけでもないし
こだわるべき地位も 家柄類の煩わしさも こだわりなんぞもないし・・・つまり 付き合いのスタイルがほぼ一定していて
ほぼ駆け引きが要らず 昨日の笑顔と 今日の笑顔が 同じ尺度で判断できる とでもいうような・・・
おおよそ 自由に自分の意見をぶつけ合い 結果が出れば
ノーサイド 事がいったん収まれば 敵も味方もない


40年以上全国を転々のサラリーマン生活を終え北海道に戻った中学以来の友などから そのあたりの事情は昔の北の地のまま
ではないか というような感想を得てホッとしたことなどあったが・・・


もっとも 当地の人たちから見ると 私ごとき者には どうにも理解にできにくいそれこそ今までに暮らした地方の県民性など多くこびりついていて 扱いもたいへん?なのかもしれないけれど・・
けっこう私も個性が強いほう?ですからネ




こんな狭い 日本という国でさえこうなのだから
世界単位で考えると どうにかこうにかでも 一つの星で暮らせていけていられるのは ある意味驚異なのかも?
そうとうな数の民族が共存している星 地球
ある意味 莫大な人たちが酸素呼吸している 地球
あの ヨーロッパなんぞ あの狭いところに? なぜにあれほど異なるのか理解に苦しむ言語が群れていたり
フランス語とドイツ語のあの違いは なんなのだろう
たった〇〇キロしか離れていないともいえる 隣の国同士なのに


と また いろいろと  言いにくいことも言ってしまっている
おじいさんの ツブヤキの巻 でした

本日は 早めに寝て コオロギの声を楽しみたいと思います

それにしても 最近 夜も空が澄まず 星座に会えないなー

淋しい

明日こそ 疑問点の整理を済ませなきゃ

保険法も 独特の世界だなー


オヤスミナサイ