児童文学作家
1907~2002年 没94歳
スウェーデン生まれ
パートで働いていた37歳の主婦だった時の懸賞小説が作家デビュー作。
教訓主義でもセンチメンタリズムでもない作風は、当時の児童文学界に風穴を開けたといわれた。
教育学者から批判され、反対に「すべての限界や しきたりを破るむこうみずな天才」と
擁護する学者も現れて、教育論争に発展した。
子供時代は、お話が上手な父親と働き者の母親のもと
畑の手伝いをしながら、農場を遊び場に育った。
作品の背景となっている世間の目より自分の思いを大事にする生き方には
風当りも強かった。
新聞社に勤めていた18歳のとき未婚のまま妊娠。
故郷を離れて出産し、息子を養母に預けて働いた。
お金を貯めては会いに行き、一緒に暮らせるようになったのは
息子が3歳の時だった。
ともに木登りをしてスカートが裂けても気にせず
子育てを通して再び子供の頃の感覚を取り戻した。
牧場に咲く野ばらの香り、子牛の舌の感触。
五感が覚えていたことを作品にした。
「私は私自身のなかにいる子供をを喜ばせるためだけに書いてきた。」
と語った。
「子供であっても一つの人格だから尊重しなければいけない。」
「物事を解決するには暴力以外の方法があることを
まず家庭で、お手本として示さなくては」
幼い子も理屈や思いがある。
弾む物語は「社会への異議」
朝日新聞、ネットより
これらの本も彼女の存在すら知らなかった。
「今こそ・・・」という見出し
今!この時代こそ必要とされる教え、生き方・・・。