十字軍のころには、 イスラム教徒がキリスト教の聖地エルサレムを支配していたことが、 イスラムに対する西欧世界の敵意の源になった。
一六世紀から一七世紀にかけて、 オスマン帝国がヨーロッパに支配を拡大すると、 イスラムの脅威はヨーロッパの人びとにとって現実的なものになった。
一九世紀から二〇世紀のはじめのころ、 今度は、 ヨーロッパの列強諸国が中東・イスラム地域を植民地として支配するようになった。
そうなると今度は、 イスラム教徒は野蛮で遅れているから啓蒙してやらなくてはいけないという優越感が西欧世界で強くなった。
そして二十世紀も終わろうとするころ、 ふたたびイスラム教徒が世界の各地で異議を申し立てるようになった。
今日、 イスラム教徒が多く住む国のほとんどは、 イギリスやフランスの植民地から独立した。
独立して以来、 西欧世界をモデルにして国づくりをしてきた。
しかし、 相変わらず貧しい国が多いし、 国のなかでも貧富の差を解消できない。
西欧世界をモデルにしたことがまちがいだったのではないか。
異議を唱える人たちは、 こうしてイスラムの復興によって世直しをすべきだと考えるようになったのである。 これをイスラム復興運動という。
もともと、 イスラムという宗教には、 信仰心を個人の心のうちにとどめておくという発想がない。
イスラム教徒の家族、 社会、 そして国家もイスラムを正しく実践することによって公正なものになると考えている。
その結果、 イスラムの理念を政治に反映させようとする勢力がうまれ、 イスラム政党をつくって政治参加をもとめる。
しかし、 多くの国の指導者たちは、 政治と宗教を分離する政教分離の考え方を西欧諸国から学んでいるので、 イスラムが政治に介入することを嫌う。
国民のあいだにも、 イランのようなイスラム国家になってしまうと自由が奪われると懸念する人もいる。
その結果、 世界のあちこちでイスラムを掲げる反体制運動が起きるようになったのである。
西欧世界では、 すでにキリスト教の教えに従って国家を運営する国はなくなっている。
近代化とともに、 宗教は国家に干渉しないという政教分離の考え方が定着しているのである。
そのため、 西欧諸国からみると、 二十世紀も終わろうとするいまになって、 宗教が
宗教が違うから対立するのか?
テロや紛争が頻発するようになったことに対して、 西欧諸国はその原因をひとつひとつ明らかにしようとはしなかった。 テロや暴力は民主主義や人権に対する重大な挑戦である。
そんな行為をする人は野蛮で遅れた人間にちがいない。
西欧世界の人びとの多くは、 中東で起きた事件や紛争をみてそう考えた。
アメリカやイギリス、 そしてフランスの政府も、 イスラムの名の下に起きる暴力を強く非難した。
二十一世紀には、 共産主義にかわってイスラムが西欧世界にとって脅威となるだろうと言う人たちも増えている。
アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンは、 『文明の衝突』 という本のなかで、 二十一世紀には、 文明の違いによる対立から世界で紛争が起きるようになると語った。
なかでも、 イスラムと西欧世界との対立は深刻なものになると予測している。
メディアは、 イスラムとイスラム教徒に対して、 強く、 否定的なイメージをつくることに貢献している。
イスラムに関するテレビの映像には、 ターバンを巻いた髭面の男性や、 全身を真っ黒なチャドルに包んだ女性たちが登場することが多い。
横断幕をかかげ、 何事か叫び、 拳をふりあげる映像が世界中に流れた。
イスラム教徒は、 狂信的で信仰のためには暴力をいとわないというイメージが映像からつくられるのに時間はかからなかった。
こうして、 「イスラムという宗教は危険だ、 イスラム教徒たちは民主主義や人権を守らないらしい」 という評価が西欧諸国に蔓延した。
このような評価が一般化されるとき、 昔から蓄積されていたイスラムについての怪しげな知識や風説が総動員された。
「イスラムって、 一夫多妻の宗教なんでしょう。 それに女の人にはヴェイルで顔を隠せって言うんでしょ。 女性の人権を無視してるよね」
「イスラムって、 砂漠の宗教でしょう。 砂漠の風土ってすごく厳しいから、 人間が荒っぽくなるんだ。 一滴の水をめぐって、 人間どうしが争うようになる。 だから、 アラブ人って好戦的なんだよ。 そういう彼らの宗教がイスラムなんだ」
政治の世界にまで台頭してくるイスラム復興の現象は、 ひどく時代に逆行した復古主義的な運動にみえる。
すでに述べたように、 イスラム復興の動きは、 西欧世界と戦うことを目的にしているわけでもないし、 キリスト教徒に戦いを挑んでいるわけでもない。
自分たちが暮らす社会をイスラムによって改革しようとしているのである。
しかし、 この復興運動に対して、 西欧諸国が蔑視や侮辱を繰り返していると、 今度は、 西欧世界に刃が向けられることになる。
一九世紀から二十世紀にかけて、 西欧世界は政治・軍事・科学技術・経済の分野で著しく発展した。
だが、 社会や文化のありかた、 あるいは人間の価値観まで、 西欧世界での標準が世界の標準になる根拠はない。
西欧世界の価値観とは異なる価値観をもつ人びとを差別したり蔑視してよいわけもない。
彼らの声に、 直接耳を傾けることなく、 勝手な思いこみや自分のものさしで相手を測ってしまうと、 対立はいっそう深刻なものになる。
そして、 宗教がちがうから、 文明がちがうから対立するのも仕方ない。
気に入らないなら力でねじふせようという危険な発想へと吸い寄せられていくのである。
内藤 正典 (ないとう・まさのり)
一橋大学大学院社会学研究科教授、 社会学博士。