最も偉大な力は、生命の再生能力

2018年05月30日 20時32分25秒 | 社会・文化・政治・経済
ノーマン・カズンズ(Norman Cousins、1915年6月24日 - 1990年11月30日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ユニオンシティ生まれのジャーナリスト、作家。
広島市特別名誉市民。
1949年、広島を訪れ、広島市への原子爆弾投下の惨状を視察。
広島戦災児育成所の原爆孤児たちに強い衝撃を受け、帰国後にルポルタージュ「4年後のヒロシマ」を発表する。
これを契機にして、日本基督教団広島流川教会の牧師、谷本清らとともに「精神養子運動」(原爆孤児たちの育成のため、米国人が彼らを精神的な養子とし、精神的な親が年額20ドルの養育費を送るというもの)を開始。
400名以上の孤児に対する支援を実施する。

また、原爆によってケロイドを負った若い女性たち(いわゆる「原爆乙女」)への義援金を募るため、谷本牧師とその家族をテレビの対面番組『This is Your Life』に出演させ、原爆を投下したB-29エノラ・ゲイ号の副機長だったロバート・A・ルイスと対面させた。
この番組の大反響により5万ドルの寄付金が集まり、これにより1955年に原爆乙女25名が米国ニューヨーク市のマウントサイナイ病院において治療を受けることとなった。
1964年、広島市特別名誉市民の称号を受ける。
40歳の時に膠原病を患い、医師から「500分の1」しか回復の見込みはないと宣告された。
さらに65歳で心筋梗塞を発症しながらも、驚異的な意志の力と生命力で、見事な回復を勝ち取る。
「この世で最も偉大な力は、生命の再生能力です。人間の肉体、精神両面において、苦痛や試練を克服し、病を治癒する本然の能力を持っている。しかし、それ以上に素晴らしいものは希望の力です」

「孤独」で年間320億ポンド(約4.9兆円)の損失

2018年05月30日 18時04分34秒 | 社会・文化・政治・経済
イギリスのテリーザ・メイ首相は1月18日、「孤独担当大臣」のポストを新設し、トレイシー・クラウチ氏を任命したことを発表した。イギリス社会で「孤独」に困っている人のための総合的な政策を率いるという。ガーディアンなどが報じた。

また、イギリス政府は孤独の問題に関する調査を開始し、人々を結びつけるコミュニティ活動に対して金銭的な助成をすると発表した。

メイ首相は「多くの人々にとって、孤独は現代の生活の悲しい現実です。私はその現実に立ち向かい、我々の社会や高齢者や介護者、愛する人を失った人々ーそして自分の考えや体験を話したり分かち合う相手のいない人の孤独に対して、行動を起こしていきたい」と語っている。


「孤独」で年間320億ポンド(約4.9兆円)の損失

この政策は、2016年に極右過激派に殺害された労働党のジョー・コックス党首の遺志を引き継いだものだ。メイ首相は、彼女が生前に設立を計画していた「ジョー・コックス委員会」が提出した「孤独」に関する問題についての勧告の多くを受け入れた。

ジョー・コックス委員会は、赤十字社など13の福祉団体と連携し、2017年に約1年間かけて孤独に関する調査を進めていた。

その結果、明らかにされたのは以下のようなものだった。

・イギリスでは、900万人以上の人々が常に、もしくはしばしば「孤独」を感じており、その3分の2が「生きづらさ」を訴えている。

・月に1度も友人や家族と会話をしないという高齢者(65万人)の人口は20万人にのぼった。週に1度では36万人になる。

・身体障害者の4人に1人は日常的に「孤独」を感じており、18〜34歳の中では3分の1以上になった。

・子どもを持つ親たちの4分の1が常に、もしくは、しばしば「孤独」を感じている。

・400万人以上の子どもたちが「孤独」を訴え、チャイルドライン(相談窓口)の支援を受けた。

その結果を元に、委員会では「孤独が人の肉体的、精神的健康を損なう」と警告、肥満や一日に15本のタバコを喫煙するよりも有害であるとする啓発活動を実施していた。

また、委員会は孤独がイギリスの国家経済に与える影響は、年間320億ポンド(約4.9兆円)に上るとしている。

トレイシー・クラウチ氏は文化・メディア・スポーツ省の政務次官と兼務する。

前世の記憶を持つ人

2018年05月30日 17時25分56秒 | 医科・歯科・介護
古代エジプト人が前世

オンム・セティ(Omm Sety)(本名ドロシー・イーディー)1904年 - 1981年はイギリス生まれのエジプト考古学者である。
3歳当時、ロンドンに在住していたドロシー・イーディーは階段から転落し、意識不明状態に陥る。駆けつけた医者により一度は「死亡」と認定されるも、すぐに息を吹き返す。
この事件をきっかけに、ドロシーは毎晩同じ夢を見るようになった。
その夢の中には、果実のなった樹木がたくさんある庭と石の柱がたくさんある建物が頻繁にあらわれた。
両親に何度否定されても、ドロシーは夢の中に出てくる世界が自分の故郷であると主張するようになった。

4歳になり、大英博物館を訪れたドロシーは、そこで運命の出会いを果たす。エジプト展を訪れたドロシーは、ガラスケースに入ったミイラの側から離れなくなり「この人達は私の仲間なのよ」と言い張るようになり、両親を困惑させた。
また数か月後には、父親が買って帰った百科事典のロゼッタストーンの項目を読みふけり、自分はこの碑文の言語を知っていると主張し始める。

7歳になると、雑誌に掲載された古代エジプトの写真にアビュドスにあるセティ1世の神殿を見つけたドロシーは「ここが私の家よ!ここに住んでいたの!」と叫び「でも、どうしてみんな壊れているの?庭はどこ?」と不思議そうに尋ねた。

成長するにつれて、ドロシーは自分が前世で古代エジプト人だったという確信に取り憑かれるようになり、転生問題を扱うグループにも参加するようになった。
集会での討論には満足いかなかったイーディーは、十代の前半からエジプト学を学び始めた。
古代エジプト美術研究のパイオニアとなったウォーリス・バッジはドロシーに目をつけ、学業そっちのけでやってくる彼女にヒエログリフを教えた。

エジプトへの旅立ち[編集]

27歳になった時、彼女は若いエジプト人の教員と出会い恋に落ちた。
そして、ついに荷物をまとめてエジプトに向かい、到着と同時に結婚を宣言して両親を仰天させた。

エジプトに住んでからも、古代エジプトにしか関心のなかったイーディーは、近代的なカイロに住みたいという夫の希望に対して反発したため、夫婦関係は一時緊張した。
彼女はピラミッドの見える場所に住居を構えたいと主張した。
まもなく夫妻には子供が生まれたが、彼女は夫の意志に逆らって自分の息子に「セティ」と名付けた。
セティという名は紀元前1300年頃の第19王朝初期の戦士として有名なファラオセティ1世にあやかった名前であった。
これ以降ドロシーは「オンム・セティ」として知られるようになった。
これはエジプト人の血が半分入った息子セティの母という意味である。

結婚後、オンム・セティの夫は真夜中の彼女の奇行にしばしば眠りを中断させられた。
オンム・セティはトランス状態になり、月明かりの中でひたすら紙面にヒエログリフを書きつけた。
オンム・セティの奇怪な行動はその後一年あまりも続き、書き著した内容も紙面にして70ページにも及んだ。
後年になって彼女は「不思議な魔力に捉えられたかのように、無意識のまま」の状態で頭の中にエジプト語が語りかけられたのだと話した。
その言葉は「ホル=ラー」と呼ばれる霊によって告げられたもので、オンム・セティの過去生について述べたものだった。(→#エル・ゼイニに明かした秘話)

ドロシーはこうした話の詳細を夫に語らなかったため、夫は妻の事が理解できずに苦悩した。更にオンム・セティの周りには奇妙な出来事が次々と起きて、夫婦関係に緊張を与えた。
ある日、泊まりに来ていた夫の父親は、オンム・セティのベッドにファラオが座っているのを見た!と叫びながら家から逃げ出した。

結婚から3年後、夫がイラクで教職に就いたことで別居状態になったオンム・セティは、幼い息子を連れてギザの大ピラミッドの近くに移り住み、テント暮らしを始めた。
そしてエジプト考古局で製図係の仕事に就き、エジプト考古局初の女性職員となった。

考古学者時代

それから20年間、オンム・セティは発掘と記録の作業に明け暮れた。
製図の腕は確かであり、編集助手としても優秀だったオンム・セティは当時のエジプト学に大きな貢献をした。
エジプト学者であるウィリアム・ケリー・シンプソンは「ある人たちはエジプト語を完璧に知っているが、エジプト美術は知らない。
別の人達はエジプト美術は知っていても、言葉が解らない。しかしドロシー・イーディーは両方を知っていた」と褒め称えた。

1952年、とうとう念願の(幼い頃に夢で見た故郷の地である)アビュドスに落ち着いた彼女は、セティ1世の神殿の遺跡に向かうと、香を焚き一晩中過ごす日々を送った。
彼女がエジプトにいながら20年間もアビュドスの地に来なかったのは、何かが自分を妨げていたからだと述べている。
水道も電気もなく、イスラム教圏であり英語を話せる人もいなかった当時のアビュドスは、外国人女性が一人で暮らしていくのは相当苦しい環境であったが、オンム・セティのたび重なる懇願により、エジプト考古局はしぶしぶ彼女にアブドゥスでの仕事を与えた。
その後、オンム・セティは残りの人生の殆どをアブドゥスで過ごした。

神殿で礼拝し、公然と古代エジプトの神を崇める外国人女性オンム・セティの存在は村人や訪問者を驚かせた。
ちょっと奇妙ではあるが誠実な研究者として村人に温かく受け入れるようになったオンム・セティは訪問客のガイドとしても有名な存在になり始めた。
オンム・セティは動物との不思議な共感能力を示し、蛇やコブラなどを手なずけた。
オンム・セティは自分の信念の内容についても公言していたが、彼女を嘘つき呼ばわりする者は皆無だった。

アビュドスで神殿の壁面のレリーフを記録する仕事に就いてまもなく、オンム・セティはセティ1世の神殿の庭の位置を言い当てることになった。
(その庭は、彼女が幼少の時から夢に出て来た庭だった。)発掘作業員がオンム・セティの指示に従い神殿周囲を発掘してみると、切り株が多数見つかった。
それは、かつてその場所に庭があったことを物語るものであった。
その後もオンム・セティは神殿の北側で地中に走るトンネルがあると断言し、実際にこれを発見した。
あ現場の作業監督官は「(オンム・セティは)自分の歩く地面について不思議な第六感を持っているようだった」と語った。
この一連の事件はエジプト学の研究者ハニー・エル・ゼイニにより確認されている。
エル・ゼイニはオンム・セティの公言する前世の事については懐疑心を抱いていたが、この一件以来二度と疑いを抱かなかった。

またオンム・セティによると、この神殿の地下には秘密の文書庫があり、貴重な文書がたくさん詰まっている。
もしこれが発見されたらツタンカーメンの墓の発見も霞むほどの大ニュースになるだろうとされている。しかし、この探検に乗り出した者はいない。

オンム・セティは1981年に77歳で死去した。


「生まれ変わり」は本当にあるのか?
死んだ後、私たちはどうなるのか?
これらは、長年に渡る人類の謎である。
最近になって科学者たちが本気でこの謎を解き明かそうとしているという。

ときに幼児が「前世」の事を話し出すことがあり、調べてみると「生まれ変わり」としか思えない考えられないほど詳しい記述がある。

「輪廻転生」などは非物質界に属する題目として扱われてきたが、もっと本格的な研究が必要だという風潮になったのだ。
ニコラ・テスラも「科学が非物理的現象を扱い始めたなら、今までの何世紀に及ぶ研究より革新的な進歩を10年の間で実現するだろう」と言っている。

「生まれ変わり」研究の第一人者と言われている米バージニア大学医学博士であり精神科医であるジム・タッカー博士は2008年に「生まれ変わり」の可能性がある事例を見直した記事を雑誌に投稿している。

 そこには、典型的な「生まれ変わり」の事例や前世の経験を鮮明に語る子供たちの話が書かれている。興味深いのは、生まれ変わりを体験したという記憶を持つのは100パーセント子供たちだということだ。
平均で生まれてから35ヵ月後に、前世の記憶が蘇るそうだ。

 そして前世で何が起きたのかを鮮明に語り出すという。
タッカー氏は子供たちが前世の話をするときは、とても感情的になるということも述べいてる。中には泣き出したり、前の家族の元に戻してとお願いする子供もいた。

 しかし、一般的に彼らは6歳か7歳頃になると前世を語ることを止め、記憶がぼやけてくるという。
この年代は学校に行き始める年で現代の生活で様々なことを体験し始める時期である。
そしてまた幼少期の記憶が失われる時期でもある。

1. サム・テイラー
 サムはタッカーが研究した子供の中の1人である。
父方の祖父が亡くなった18ヵ月後に生まれた。そして1歳の頃には前世の記憶が蘇り始めたという。

 サムが1歳半の頃、サムはオムツを替えていた父親の顔を見上げこう言った。
「僕がパパの年齢だった時も、よくパパのオムツを替えていたよ」そして、その後もよく祖父の話をするようになった。
更に普通に生活していたら絶対知ることのできない祖母に関する詳細な話をするようになった。
それは、祖父の姉妹が殺されたことや、祖母が祖父の末期に毎日フードプロセッサーでミルクセーキを作っていてくれたことなどだ。
何が驚くって1歳半の子供がここまで話せるということだ。
2. ライアン (アメリカ中西部の男の子)
 ライアンのストーリーは彼が4歳だった頃に遡る。
その頃ライアンはひどい悪夢に頻繁に襲われていた。
5歳になると、母親にこう告げた。
「僕は昔は別の人間だったんだ」。ライアンはよくハリウッドの家に帰ることを話していた。
そして母親にそこに連れて行ってくれとお願いしていた。
また、スターのリタ・ヘイワースに会った話や、ブロードウェイで踊っていたこと、従業員が頻繁に名前を変える事務所で働いていたということ、前世の住所に”rox”という文字が含まれていることも口に出していた。

 ライアンの母親であるシンディーさんはその鮮明さに驚いたと言う。
「息子の話はとても詳細で克明なんです。
子供がでたらめを言うようなレベルではありません」と言い、地元の図書館でハリウッドについて書かれた本を調べることにした。
もしかしたら、本に書かれていることが息子の興味を引くかもしれないと考えたのだ。
そして驚くべきものを発見した。
シンディーさんが本に載っていた写真を見つけた時、すべてが変わったのだ。
その写真こそ、ライアンが前世で自分が写っていたと主張していた写真だった。

 親子はタッカー博士の助けを求めることにした。タッカー博士は依頼を引き受けると調査を始めた。
その2週間後、ハリウッドの公文書保管人が例の写真に写っている男の身元を確認した。
その写真は、映画『ナイト・アフター・ナイト』のもので、男の名前はマーティー・マーティンということが分かった。マーティーは映画のエキストラからハリウッドエージェントになり、1964年に他界していた。

マーティンはブロードウェイで踊った事もあり、顧客用にステージネームがころころと変わる事務所に勤めていた。
パリに旅行に行ったことがあり、当時の住所はビバリーヒルズの 825 North Roxbury Driveであった。
これらの全てをライアンは詳細に把握していてタッカー博士に話していた。
しかも、それは博士らが写真の男の正体を突き止める前の話であった。

 例えば、ライアンは住所に “Rox”という文字が含まれていることも知っていたし、マーティーには何人の子供がいたかも、何回結婚したかも知っていた。
さらに驚くことにライアンはマーティーには2人の姉妹がいて、マーティー自身に娘はいなかったということも知っていた。
またライアンはアフリカ系アメリカ人のメイドがいたことも覚えていたが、実際に、マーティーと彼の妻は何人かのメイドを雇っていた。
ライアンが知っていた55の驚くべき事実より、ライアンの前世はマーティー・マーティンだったということが分かった。
しかし、ライアンは年を取るにつれ、当時に関する記憶は不鮮明になっていった。

3. チャナイ・チョーマライウォング
 チャナイはタイで暮らす男の子だ。彼が3歳の時、前世の自分はブア・カイという名前の教師で学校にバイクで行く途中に射殺されたと語り出した。
そして、ブア氏の両親の家で暮らしたいと懇願するようになった。
チャナイにとっての両親とはブア氏の両親だという。チャナイはブア氏の両親が暮らす村を知っており、ついに自分の祖母を説得してその村へ向かった。

 チャナイの祖母によると、バスを降りてからチャナイが祖母を導き、高齢の夫婦が住んでいる家までたどり着いたという。
チャナイは誰がブア氏の両親だったかすぐに分かった。
ブア氏が学校に行く途中で殺されたのはチャナイが産まれる5年前のことだった。

 またブア氏とチャナイにも身体的な共通点らしき特徴が見つかった。
ブア氏は後ろから撃たれ、後頭部に丸い傷があり(典型的な射入創)、おでこには射出創の大きな傷があった。
そしてチャナイには産まれた時から後頭部に小さな丸い傷と不規則な形の大きな傷がおでこにあった。

4. パトリック(P.M)
 パトリックにはケビンという兄がいたが、パトリックが産まれる12年前に神経芽細胞腫で亡くなっていた。ケビンの癌は足を引きずるように歩き始めたことが原因で判明した。
その後、左脛骨の病理学的骨折で苦しみ、頭蓋骨にあった小さなコブの生検も行われた。
そのコブは右耳のすぐ上にあった。右外頸静脈の中心線を通る化学療法を行ったが、2歳で死亡し、左目は失明していた。

 パトリックは生まれた時から体に3つの特徴があり、それは亡くなった兄の傷と一緒だった。右耳のすぐ上には直径1センチの腫れ物があり、首の右前方下部には濃い斜めのマークがあった。
そして左目は角膜白斑と呼ばれる角膜の病気で目が見えない状態だった。

 パトリックは歩き始めるとすぐに、足を引きずるようになった。
病院に行ったが何も問題は見つからなかった。そして4歳半になると、「前の家に戻りたい」と母親に言い出すようになった。パトリックはその家のことを詳細に覚えていた。
また亡くなった兄の頭蓋骨の手術についても話すようになった。
しかし、引っ越したのはパトリックが生まれる前のことで、ケビンの手術のことをパトリックに話した人は誰もいなかったという。

4. パトリック(P.M)
 パトリックにはケビンという兄がいたが、パトリックが産まれる12年前に神経芽細胞腫で亡くなっていた。ケビンの癌は足を引きずるように歩き始めたことが原因で判明した。
その後、左脛骨の病理学的骨折で苦しみ、頭蓋骨にあった小さなコブの生検も行われた。
そのコブは右耳のすぐ上にあった。
右外頸静脈の中心線を通る化学療法を行ったが、2歳で死亡し、左目は失明していた。

 パトリックは生まれた時から体に3つの特徴があり、それは亡くなった兄の傷と一緒だった。右耳のすぐ上には直径1センチの腫れ物があり、首の右前方下部には濃い斜めのマークがあった。
そして左目は角膜白斑と呼ばれる角膜の病気で目が見えない状態だった。

 パトリックは歩き始めるとすぐに、足を引きずるようになった。
病院に行ったが何も問題は見つからなかった。そして4歳半になると、「前の家に戻りたい」と母親に言い出すようになった。
パトリックはその家のことを詳細に覚えていた。また亡くなった兄の頭蓋骨の手術についても話すようになった。
しかし、引っ越したのはパトリックが生まれる前のことで、ケビンの手術のことをパトリックに話した人は誰もいなかったという。



プラス思考が人生の充実の鍵

2018年05月30日 13時24分17秒 | 医科・歯科・介護
日常ではストレスにより免疫力が低下する。
健康には、身体の機能を調節する自律神経の働きが重要である。
強いストレスなど交換神経がずっと緊張したままでいると、本来はストレスから身体を守ための「ストレスホルモン」(ノルアドレナリン、コルチゾールまど)の分泌が過剰なり、悪循環を起こして免疫力は低下する。
また、ストレスで腸内環境が悪くなり腸内細菌が悪玉菌に偏ることも免疫力の低下につながるようだ。
免疫力が低下することで、風邪や傷などが治りにくくなったり、アレルギーが強くなったり、がんなどのさまざまな病が発症しやすくなる。
私たちは日常、さまざまなストレスにさらされているが、ストレスを感じる度合いは人によって違う。
ストレスを感じやすい人は、一般に真面目で責任感が強く、完璧主義で他人の評価を気にし過ぎるようなタイプといわれる。
緊張とリラックスのバランスが健康には大切だ。
ストレスがたまっていると感じたら無理をせず、睡眠、食事、趣味や娯楽などで早めに解消した方がいい。
また、「笑いが健康にいい」といわれている。
笑うと脳内からセロトニンという神経伝達物質が出て、これがストレスを軽減し免疫力を高めることにつながるとされている。
特に自分の夢を実現するために頑張るとか、信頼する人の期待に応えようとする緊張感は、良いストレスになるようだ。
憎しみ、怒りは、不必要なエネルギーを費やして疲れる。
同じストレスでも、感じ方の程度は、受ける人の心、生命力によって変わる。
マイナスのストレスをプラスに変える力が生命に備わっている。
困難を前進の力に変えとうするプラス思考の生き方で、ストレスとうまく付き合い、毎日を充実させることができる。
過度なストレスを受け続けることはよくない。
自分の一念で環境も変わる。
悩みがあるからこそ努力し、成長できる。
まず、生命力を強くすることだ。

週半分以上「孤食」が15%

2018年05月30日 11時39分13秒 | 社会・文化・政治・経済
少子高齢化で上昇―食育白書
5/29(火) 20:4 時事通信 配信
政府は29日、2017年度版の食育白書を閣議決定した。
一日の全ての食事を1人で取る「孤食」の日が週の半分以上の人が15.3%を占め、6年前に比べ約5ポイント上昇したとの調査結果が示された。
少子高齢化が進む中、独り暮らしの高齢者が増えていることに加え、夫婦だけなどの少人数世帯でも時間が合わず、孤食を余儀なくされていることが背景にあるという。
調査は17年11~12月に20歳以上の1786人を対象に実施した。一日の全ての食事を1人で取る頻度は、「ほとんど毎日」が11.0%、「週に4~5日」が4.3%だった。 

子ども・若年、がん初集計

2018年05月30日 11時27分19秒 | 医科・歯科・介護
種類別の発症率など—国立がんセンター
5月30日(水)0時24分 時事通信
 国立がん研究センターは30日、0〜14歳の小児と、AYA世代と呼ばれる15〜39歳の若年層が1年間にがんと診断される率を発表した。若い世代のがんの詳細な集計は初めて。
 子どもと若年のがんは情報が少なく、診療体制も十分でない。
がん統計・総合解析研究部の片野田耕太部長は「集計が、対策を講じる際の基礎になる」と述べた。
 センターは27府県の2009〜11年のデータを集計。
若い世代が1年間にがんを発症し診断される罹患(りかん)率を算出し、全国の患者数を推計した。
 0〜14歳の罹患率は、人口10万人当たり12.3人(全国で1年間に約2100人)。15〜19歳は同14.2人(同900人)、20代は同31.1人(同4200人)、30代は同91.1人(同1万6300人)だった。
 がんの種類別で最も多かったのは、0〜14歳と15〜19歳では白血病。20代は卵巣や精巣などに生じる胚細胞腫瘍・性腺腫瘍、30代は女性の乳がんだった。
 小児に多いがんと、中高年に多いがんは異なる。
15歳以上では、若いほど小児に多いがんが目立ち、年齢が上がるにつれ中高年に多いがんが増えることが確認された。 

[時事通信社]

医療機関ネットパトロール相談室

2018年05月30日 11時08分19秒 | 医科・歯科・介護
広告が可能な医師及び歯科医師の専門性に関する資格名等について
「美容医療を受ける前に確認したい事項と相談窓口について(消費者庁)」
「美容医療サービスを受けるに当たっての確認ポイント(政府広報平成29年2月)」
「美容医療等を受ける前に確認したい事項と相談窓口について(平成29年3月改定)」
医業等に係るウェブサイトの監視体制強化事業の開始


医療機関のウェブサイトにうそや大げさな表示があったら、情報をお寄せください。

医療機関ネットパトロール相談室
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なお、受付けた情報に関する照会や相談についてはお答えしかねますので、ご了承ください。

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医療に関する広告についてのご相談は、医療機関を所管する自治体の窓口にご連絡をお願いします。

なお、契約内容や解約条件など、契約についてのご相談については、消費者ホットライン188番へお願いします。

消費者ホットライン(消費者庁)

03-3293-9225

医療機関、ウェブにも広告規制 

2018年05月30日 10時47分56秒 | 医科・歯科・介護
 患者の体験談も禁止へ

阿部彰芳
2018年5月1日10時16分朝日新聞
医療機関のウェブサイト上の掲載内容が「広告」とみなされ、規制される。「絶対安全な手術」といった虚偽の内容は罰則つきで禁止され、患者の体験談や未承認薬を使う治療の紹介も原則禁じられる。厚生労働省は近く、具体的な禁止内容を示す指針を公表し、6月に改正医療法を施行、規制を始める。

「国内最高峰」「モデルも通う」
不適切ウェブ広告を調査
 医療に関する広告は、患者を守る観点から医療法などで限られた内容しか認められていない。
ただしインターネット上の情報は、主に患者本人が調べて得るもののため、テレビCMや看板と区別され、法令で規制されていなかった。

 しかし、保険がきかない自由診療の美容医療などで掲載内容を巡るトラブルが後を絶たず、内閣府の消費者委員会は2015年に厚労省に見直しを要請。規制を強化する改正医療法が6月1日に施行され、SNSなどを含めたネット上の情報でも、特定の医療機関に患者を誘う内容は広告とみなされる。

 改正法では、内容が虚偽なら6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金を科す。
「日本一」「最高」など他施設よりも優秀だと思わせたり事実を誇張したりした表現は、自治体が中止を命令でき、従わなければ罰することができる。




失敗したとことで、世界は終わらない

2018年05月30日 06時25分55秒 | 社会・文化・政治・経済
「どんな失敗からも学ぶことができます」
失敗の積み重ねの中で、素晴らしいことが達成できるのです。
信じることに基づいて行動を起こすべきなのです。
恐れずに希望を創り、行動することです。
どのように真実を訴えるのか、それは行動することです。
何かに挑戦して失敗したとことで、世界は終わるわけではありません。
夢は必ず実現できます。
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の運営委員・スージー・スナイダーさん




輪子の競輪日記

2018年05月30日 05時50分19秒 | 未来予測研究会の掲示板
人生の目的とは、それを生きること、全ての体験をできる限り味わうこと、そして一心に、恐れず求めることに尽きる-エレノア・ルーズベルト
「恐れず求める続ける」ためには、大胆不敵に思い切ることと、間断なく挑戦することが必要です。
輪子は、我が意を得た気持ちとなった。
看護師として、医療現場に身を置き、病める患者に接してきている。
嫌が上にも生死を考えさせる日々である。
精神を病む人の暗い顔も見ている。
一方、末期がんなのに、「この人、なぜこんなに明るいのだろう」と感嘆させられることもある。
自殺未遂で搬送された少女もいた。
「みんながみんな心が強いわけではない」
「辛かったのね」と輪子は少女の手を握った。
団地の4階から飛び降りた少女は、芝生の庭に落下して、両足を骨折していた。

輪子にとって競輪は、生き抜きの一つであり、挑戦であった。
「何かに賭ける」それは、非日常的世界と想われる。
競輪選手たちの、それぞれの位置取り。
筋書きのないドラマへのワクワク感を輪子は味わっている。
競輪で車券を買う、それは輪子にとって自己表現の一つ。
断然と思われる150円の配当の車券をあえて買わず、高配当の車券を買う。
大胆不敵になれる場面である。
100円が、7万8400円にもなった。
「間断なく挑戦しよう」と輪子は前を向く。

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アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt, 1884年10月11日 - 1962年11月7日)は、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。
リベラル派として高名であった。
エレノアは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪に当たる。
両親とも名門出身で裕福であったが、父はアルコール中毒、母は冷酷な人であった。
両親とは早くに死別したため、祖母に養育された。
米国の経済的に恵まれない人たちの熱心な擁護者として活動した。
そして夫のフランクリン・D・ ルーズベルト大統領の死後、国連人権委員会の委員長を務めた。
戦後、日本に設置された米軍兵士相手の売春施設を廃止させた人。